赤岳 阿弥陀岳

 赤岳 2,899.2m 阿弥陀岳 2,805m 中岳 2700m
 山域:八ヶ岳

記録
 山行日1994年7月17日(日)
 ルート美濃戸口→行者小屋→地蔵ノ頭→赤岳→中岳→阿弥陀岳→行者小屋→美濃戸口
 コースタイム0452 美濃戸口 → 0545/0555 美濃戸 → 0740 白河原 → 0808/0825 行者小屋 → 0925/0940 地蔵ノ頭 → 1016/1045 赤岳 → 1120/1220 中岳との鞍部 → 1230 中岳 → 1240 阿弥陀岳との鞍部 → 1310/1325 阿弥陀岳 → 1345 鞍部 → 1440 行者小屋 → 1600 美濃戸 → 1700 美濃戸口
 天候晴のち雨

大学生の頃、清里に良く遊びに行った。高速道路を走れば比較的近かったこともあるが、「なんとなくクリスタル」などが流行っている時代に、清里は大学生の必修スポットであった。その時いつも見ていたのが八ヶ岳であり、まだ山登りをやっていなかったころ、見て大好きだった山が八ヶ岳と浅間山で、両方とも軽井沢と清里という遊びの背景にあった山だった。

早朝の澄み切った空気の中を美濃戸口から車道を登っていく。1時間程度で美濃戸に到着するが、ここまでは車で入ることもできる。美濃戸からは南沢沿いの山道に入り、流れを左右に渡りながらの涼しく緩やかな登りで行者小屋を目指す。樹林の中を高度を上げていくと流れも枯れて、広い河原に変わってくる。正面には八ヶ岳の主稜線が眺められるようになるが、青空に早くも蒸気が山肌からわき上がって行っている。白河原を辿ると程なく行者小屋に着き、冷たい水を飲みながらゆっくり休んだ。
地蔵尾根に取り付くと樹林の中の道を、どんどん高度を上げていく。ダケカンバに変わりそして森林限界を越えると、視界も開け岩の道となり梯子や鎖を使っての険しいが爽快な登りである。聳えたつ稜線を見上げながら頑張って地蔵ノ頭へ、そして赤岳山頂を目指すがこの登りは地蔵尾根でかなり疲れた体には結構厳しく、鎖を頼ったり時々立ち止まって小休止をしながら、なんとか登り切った。
賑わう山頂でしばらく休憩したあと、急な下りを経て中岳の方向に進む。中岳に登る手前の鞍部にはコマクサの群落があった。中岳の登りにかかるが疲れが貯まって足が停まってしまい大休止とした。休憩から復活すると、中岳山頂は軽く通り越し、行者小屋への分岐に荷物を置いて阿弥陀岳を往復する。ただこの急峻な登りにかかるころから急に暗くなってきており、また遠雷の音にただならぬものを感じたので、念の為金属はすべて体からはずして往復した。阿弥陀岳から見る赤岳は大きいな量感があるが、時折わき上がる雲で全容を隠された。
無事鞍部まで下り、行者小屋への道に入る。樹林の中のゆったりした道である。しばらく下ったころ、パラパラと大粒の雨が落ちてきた。来たと思ってあわててレインコートを着たが、最初の一滴が降り出してから、即レインコートを着始めたのに、丁度着終わった頃は完全に土砂降りとなっており、おまけに雹まで降り出して来た。そして稲妻は山中を駆けめぐり、光と共に雷鳴が大地を揺るがした。樹間から赤岳の稜線が見えていたが、稜線に次々と光の束が轟音と共に降りていく。そして接触した所の岩が飛び散ったようにも見える。幾筋もの水の流れが稜線から一時だけのたくさんの滝をかけていた。少し雷鳴が収まっている間に行者小屋まで下ったが、途中で牛くらいに成長したカモシカが悠然と横切っていった。
行者小屋からは朝方登ってきた南沢を下った。再び閃光と雷鳴が激しくなったので、白河原から森の中に一時退避した。もう大丈夫と思って出たとたん、目もくらむ程の閃光が目に飛び込んでしまったので、あわてて森の中に転がり込んだ。朝登った時には細い流れだった南沢は、濁流となって落ちていっており、渡渉の毎に難渋した。それでも雨は少しづつあがってきて、だんだん穏やかになり、美濃戸までくるとついに上がってしまってい、そしてゆっくりとすっかり涼しくなった道を美濃戸口に向かって戻った。


参考図書・地図
ヤマケイアルペンガイド 八ガ岳・北八ガ岳(1993年改定2刷)
エアリアマップ 八ヶ岳・蓼科(1994年版)
25000図 八ヶ岳西部 八ヶ岳東部
50000図 八ヶ岳

中岳との鞍部のコマクサ
その他のコース
・美濃戸口〜御小屋尾根〜阿弥陀岳
・野辺山/美し森〜県界尾根〜赤岳
・美し森〜真教寺尾根〜赤岳
交通機関
茅野駅よりアルピコ交通「美濃戸口」行き終点下車
詳細時刻は、アルピコ交通をご参照ください。