本当は昨日書くべきだったのだが、昨日は書くことが多すぎて取りこぼれてしまった話題を一つ。
午後に漫然とチャンネルを変えつつTVを眺めていると、NHK教育で「第42回科学技術映像祭入賞作品から」という番組をやっていたので観ることにした。
作品は二つあって、一つは、町一つに対して無料で健康診断を行なう代わりに、死後に遺族の同意を取って病理解剖を行ない、長期間に渡るそれなりに規模の大きな疫学調査を行なっている九州大学医学部のこれまでを追った記録番組。
これについては、社会的な視点からの取材が主だったので、そんなに興味は湧かなかった。お前がその立場に置かれたらどうする?と聞かれれば、積極的に協力するだろう(自分が死後に病理解剖されることも含め)、と答える。医学生の解剖実習の献体になるのは願い下げだが、そこでしかやっていない学術的プロジェクトに参加する意義は十二分にある。
もう一つは、ノーベル賞受賞者湯川秀樹博士の自伝をもとにした伝記であった。
伝記であるから、日常の話やどの組織にいつ所属した、という話も入るのだが、メインはやはり理論物理学である。
ここで私がどうしても理解できないのは、場による相互作用は粒子のやり取りによって成り立っている、という結論が何故導けるのか、である。
電磁波や光は、場の波であるから、波動の粒子性の影響を受けることは理解できる。しかしながら、ある粒子(もしくは物質)の周囲に固定的に存在している場と粒子は、一体どうやったら結びつくのか。
これが、量子力学の分野でしか通用しない話であるなら、まだ物質の波動性が影響しているのであろうことが理解できるが、では重力子はどうなる? それとも重力子は理論物理学では存在を仮定していないフィクションなのか? Webで調べた限りでは、そんなことはないらしい。ついでに言えば、固定的な電磁場においても、光子をその力の媒介のためにやり取りしている、と解釈するようだ(これはマクスウェルの電磁気理論によって導き出される結果である、と書いてあったページが存在したが、説明に使われている数式が理解できないので検証は不能であった。電磁気学は苦手だったのだ)。もう一つついでに言うと、それら、力の媒介に関わっている粒子をゲージ粒子というらしい。
物理学の立場からいえば、その間に全く何も物理的な相互作用が存在しない二つの物質間に力が働くというのは明らかにおかしい。よって、何かしら相互作用を媒介するための物体があるはずである、という流れで導かれたものだという理解で良いのだろうか。
つまり、「場」という概念は相対性理論に対するニュートン力学のように、便宜的な近似値として扱うべきものである、というのが物理学的立場なのか。
では、その粒子をやり取りするための原動力はなんなのだろう?
一時間程度で調べた範囲内では、それらを解説した文書は見つけ出すことができない。重力子を「観測不能」としているページまであって、それはエーテルが観測不能であると証明したアインシュタインに従えば、重力子は存在しないことの証明になるのではないか、と混乱はいやますばかりである(たぶんその記述が間違いなのだろうけれど)。
相対性理論においては、重力は、質量が空間それ自体を歪ませているため、その歪んだ空間を通過する際に歪みに沿って運動を行なうことになるために発生している、という説明がされていたと思う。
相対性理論自体はとても直感的に納得できる理論ではないが、この重力の説明は非常に直感的だ。重力だと我々が観測しているものは、みかけの力に過ぎない、という立場なのだから当然か(なぜならば、質量による重力と、系全体が加速度運動している際に系内の観測者が観測する重力を区別することはできないからである)。なんで質量があると空間が歪むのよ、という説明は(私が理解している範囲内では)なされていないけれども。
ここで視点を変えてみる。場の中にあってその場の影響を受けている、ということは、すなわちエネルギーを得ているということと等価である。例えば、我々は地球の重力場の影響下にあって、常に地球中心方向に向かって引っ張る力を受けている。力を受けているということ=エネルギーを得ていることである。
ではどうやってそのエネルギーを得ることができているのか。エネルギー=物質である。つまりそこには何らかの物質の受け渡しがなければならない。
だから、場を形成しているということは、一定密度でその場によって場の影響を受ける物質に渡されるべきエネルギーを担う物質が放出されているということと同義だと見なすことができる。一般に、場の影響を受ける物質は、同じ場を形成するので(磁石の例を考えてみよう)、やはり影響を受ける物質も場を形成している、すなわち、物質を放出している。そして、相手に対して影響を与えている。
つまり、受け渡しなどという表現を使うから混乱するのであって、勝手にエネルギーを放出しあっていると考えれば自然に納得が行くのである。受ける力は距離に反比例する関数なので、得るエネルギー=放出された物質を受け取った量もバランスが取れる。
いや、ちょっと待て。無差別に放出するのではバランスが取れない。力を受ける相手との間だけに受け渡しがないと収支はどんどんマイナスになってしまう。
うーん、知恵熱が出そうなので、今日はここまでにしておこう。
六本木、スィートベイジルSTB139というライブハウスでZABAKARAQUJIRAのLiveを観る。
大抵、初めて行くライブハウスでは道に迷うのだが、駅から近いということもあり、簡単に辿り着く。
この店が、普通のレストランにステージが付いている、という感じの店で、しかも全員席に着けるという、以前Goddess in the MorningのLiveで受けた屈辱の記憶とは天と地との差もある待遇。
よく考えてみたら、全店がもうなくなってしまったNissin Power Stationの二階席なのだという認識をすれば良いのかもしれない。
閑話休題。
演奏の内容は、曲がややZabadakよりKarakやQujiraが偏重されていたような印象もあるが、新曲あり、定番曲ありで非常に満足。席が基本的にステージに対して横を向いているので、捻り続けなければならなかった背中が多少痛いが。
ショックだったのは、MCで「保刈さんは今なにをやってるんでしょう」という発言が出たこと。全面プロデュースの新居昭乃の新譜が出たばっかりだというのに。ミュージシャンの人って知人のCDとかあんまり買わないのだろうか。
恩田陸「上と外 5 楔が抜ける時」(幻冬社文庫)[bk1で購入]読了。
うぉ、ここまで来て、ストーリーの状況をお膳立てするだけの役割(だと私が勝手に思っていた)のものがいきなり大化けですか。サービス満点。
ここまではエンタテイメントに撤していて、流石キングを目指したというだけのことはある。面白い。本読みならば読め。損はしないぞ。
問題は、この大風呂敷が後一冊でちゃんと畳まれるのかどうかである。恩田陸は畳まないでそれでよし、で終わるパターンが結構あるので、心配である。
Macに感染するワームプログラムの情報を見つけた。
……シンプソンズってアメリカでは人気あるんだねぇ。
しかし、こうなってくると知人からのメールの添付ファイルでも迂濶には開けない。私は全然困らないのだが、困る人もいるだろう。
ちなみにMacユーザなら、iToolsを使えば20MBytesまでのファイルを公開できるので、添付ファイルなど使う必要はないのである。相手がWindows環境だとちょっと工夫が必要だと思うが。
大阪の小学校襲撃事件についての続き。
当初していた「精神安定剤を10日分服用していた」旨の供述が、生化学検査によって虚偽であったと判明したらしい。
なるほど。逮捕から、最初にマスコミの前に姿を現すまで演技を続けていたという仮定が成り立つなら、10日の日記で触れた、サイコパスである可能性が濃厚であると思う。自分で「こいつの言うことはどうも信用できないようであるから、現在の日本の精神医療手法では治療不能なのではないか」ということを書いておきながら、無批判に犯人の供述を受け入れていたことに気付いて、我ながら情けない気分である。
一つ判らないのは、本の中で紹介されているサイコパスはほぼ例外なく高学歴であるであるのに対し、この犯人は工業高校中退と、決して高学歴ではないところが気になるが、これまでの経歴や周囲の人間の証言から、知能程度はかなり高いことが伺え、単に日本の受験制度と性格が合わなかったための結果なのかもしれない。
WisdomとIntelligenceのバランスが取れていない人物、という一部の人にしか判らない表現をしてみたくなる。
街中で武富士のティッシュを受け取ったら、裏に放火強盗事件の犯人の似顔絵と特徴と連絡先が書いた紙が入っていた。
既に武富士の実行部隊が報復してしまったので見つからない、という冗談を聞いた覚えがあるが、どうも違いそう(それとも、偽装?)。
この間、MacユーザはiToolsで20MBytesのネット上のディスク容量を持つことができる、と書いたばかりだが、有料で1GBytesまでの容量の拡張サービスを始めたようだ。ちなみにお値段は1MBytesにつき、$1/Year。50MBytesだと$50/Yearなので、最初の20MBytesはなかったことになると考えるべきか。それとも払うことにすると、70MBytesになるのだろうか?
RIMのディスク容量拡張サービスは、2MBytesにつき、200円/月なので、iToolsの方が全然安い。$1=120円として、RIMの1/20。……乗り換えるべきか。RIMのサービスが高いおかげでIP接続サービスに関しては軽い環境を享受できてることは理解しているので、全部を切ったりはしないが。
ちなみに、今回は800MBytesと1GBytesの選択肢が増えた、という内容のメールが来ていたので(英語で)、以前からこのサービスは始まっていたらしい。英語のメールは流し読みすることが多いのだ(特にiTools関連のメールは、iCardの図案が増えたとかあんまり興味の湧かない内容であることが多いので)。
荷物が届く予定がないのにインターフォンが鳴る。
こういうときは大抵、NHKの集金とか新聞の勧誘とか、ロクでもない訪問者なのである(そういえば、ここ数カ月、トンデモ文献として楽しませてもらっている「ものみの塔」の機関誌を配っているおばさんが来ない。どうしたんだろう? まさかこのページで住所まで特定できるとは思えないのだが)。
用心して取ってみると、酒類に関するアンケートだという。余計に用心して話を聞いてみると、「ここ数週間で酒は飲んだか?」「年齢は?」「その酒の中にウイスキーやブランデーは含まれているか?」という、Yes/Noのみ(でもないか。でも10才単位の世代を聞かれただけ)で答えられるが、そのデータが一体何に生かされるのかさっぱり判らない質問だけして去っていった。
何の団体がどういう目的でやっているものなのか、聞けばよかった。
17:30頃に、出入りしているチャットの人たちと飲み会をすることが急遽決まり、新宿へ。
駅に着いたのが待ち合わせ時間に設定されていた19:00丁度だったのだが、待ち合わせ場所にたどり着いたのは私が一番先であった。時間的距離は確かに一番近いのだが。
場所の当てがあまりないとのことだったので、この間行ったばかりの「お多幸」へ。
集まったのはコンピュータ関連業界の人たちばかりなので、業界よもやま話など。楽しい時間であった。
ル・マン24時間耐久レースは、雨でえらいことになっているようである。
耐久レースの面白味は、私はいまいち良く判らないので(やってる人はオモツラいと思うが)、全部つきあうつもりは全然ないのだが、やってるとずるずる観てしまう。
しかし、テレ朝の情報ページにはちっともアクセスできない。プレゼントの「最高級電子計算機」なるものが一体何なのか、それだけ知りたいのだけど。
しかし何だね。電子式卓上計算機って、言葉の意味を考えると、今のPCは正にそのものだね。Desktop Computerのほぼ直訳でないか。日本語にはCaliculatorとComputerの区別がないのが問題なんだけど。
良く考えてみたら、Webサイトをサービス停止状態にできるくらいはモータスポーツのファンは日本にいるんじゃないか。なんかTV局の扱いが不当に低いだけのように思えてきたぞ。
もう一つ政府関連。今度は総務省。総務省も国民からの意見を問う案はWebで公開しているが、受け付けにE-Mailは含まれていない。この統一性のなさは一体何によるもの?
いつまでURLが有効かは判らないが、 総務省のページには現時点で情報がない(ように見える)ので、これ。PHSのデータ通信の速度が15倍になるらしい。
基本的にはめでたい、というべき記事なのだが、気になる記述は「解禁する」の一言。
これは要するに、PHSの電波利用に関して何らかの制限が加わっていたものが解除された、という意味で間違いないと思うのだが、一体、どういう制限が加わっていたのかがさっぱり判らないのである。
これが電波強度だったりすると、満員電車では電源を切らなければならなくなるし(ペースメーカ装着の人への悪影響を避けるために)、電池の持ちも悪くなる。それよりもなによりも、仕組みが判らないというのは理系の人間としてすごく気持ち悪いのである。どなたか情報をお持ちの方がいらっしゃったら、是非とも教えていただきたく思う次第である。
まさかとは思うのだが、総務省が意見をE-Mailで受け付けていないのは"郵便を利用させるため"じゃあるまいな。
書面を郵送する場合は、その内容を記録した記録媒体(FD等)を添付せよ、なんてことが書いてあるところを見ると、E-Mailで受け付けていない合理的な理由が全く判らないので、そういう疑念を抱かざるを得ないのである。
なんとなくネットワーク的な躁状態に陥ってる感じ。私は10年くらい前からInternet接続環境にあるのだが、2年に一遍くらいそういう状態に陥る。たぶんこれは逃避(何の、からは敢えて書かない)。
やばいことになる前に自制しないと。
WBSで紹介されていたミニビアサーバという商品がなかなか良い感じ。
単に缶ビールの上に取りつけるだけのものなのだが、注ぎ口に素焼きの陶器が入っていて、泡をきめ細かくしてくれる。機能はビアサーバと呼ばれる機械と同じだが、機構はまるで違う。
グラスを冷やしてこれを取りつけた缶ビールを注げば、店で飲むようなビールが飲める(かも知れない)。
値段も800円くらいとリーズナブル。ちょっと探してみるとしよう。
……私の精神は線香花火か。
なんか、埼玉県内でもラッピングバスが認可されたそうで、東武のバスが段階的にそうなっていくようである。
私はバスはほとんど利用しない(移動はバイクか鉄道で事足りる)ので、当然バスを目にする機会も少ないのだが、さて、いつになったらラッピング広告にお目にかかれるのだろうか。
ところで電撃hpの田中哲弥のエッセイは、超ハイレベルの本文に、イラストレータが明らかに着いていけていないのだが、編集部ではこの事態をそれでよしと思っているのだろうか? 今号なんか、本文と全然関係ないことが書いてあるぞ。いいのか、それで。
絵描きは絵が上手ければそれでよいのであって、ギャグのセンスやギャグを理解できるだけの知性は別になくたって構わないのである。ましてや、田中哲弥は天才なのである。天才のエッセイに敵うようなコメント付きのイラストなど、それこそ天才でなければ描けよう筈もない。変なコメントなんか付けさせないで、絵に徹させた方がイラストレータのためだと思うのだが。
山口恒夫「ザリガニはなぜハサミをふるうのか 生きものの共通原理を探る」(中公新書)[bk1で購入]読了。
私は実は甲殻類ファンである。きちんと生物学を勉強したことはないが、甲殻類のメカのような外見に魅了される。エビやカニに至っては、食べると美味なのである。見て良し、食べて良し、甲殻類は生物資源のホームラン王である。
とまあ、そんな訳で、書店でこのタイトルを見て(一応、折り返しの内容紹介も見て)、ザリガニに関する雑学を集めた軽めの本であろうと思って購入したのであった。
ところがどっこい。この本は、ザリガニの研究者として研究生活を長年送ってきた(らしい)著者による、生物学についてある程度の知識を持った人間を前提にして書かれたとしか思えない、本格的な研究書だったのである。
全九章のうち、最初の六章までは、ザリガニが産業生物としてどのように利用されているかや、ザリガニの生活史、世界中の種の分布など、広範な話題に渡っていて、ところどころ難解な文章も散見されるものの、雑学の範疇に収まるような話題になっている。
んが、後の三章に関しては、著者の研究分野であったらしい、ザリガニの神経回路と行動の関わりの研究成果の説明になっていて、読んでいて「これは大学の生物学の教科書なのではないか?」と思ってしまうほど、専門的な用語と説明が続く。
いやまぁ、研究者としては、そういうことを書きたいのは理解できる。理解できるが、それを中公新書という一般書籍でやってしまうのは如何なものか。
というわけで、ディープな生物学生活を送っている方がこの本を読んでどう思うのか、ちょっと聞いてみたいのである。普通の人にはあまりお勧めできない。