02年1月中旬の世迷い言


2002/01/11

 がーん。ビデオのタイマーが入ってなくてTRICK2の頭を見逃しちゃったよ。
 電源とタイマーを独立させるという仕様は明らかに間違っている。こういうミスを誘発するためにあるとしか思えん。たとえ年に数回しかミスをやらかさないとしても。

 正月に負った膝の傷が、明らかに黄色ブドウ球菌によって化膿していたので、近所の薬局に行ってみたら、二つあるうちの一つは潰れていた。薬局って潰れるものなのか……。
 気を取り直して、もう一方に行ってみて症状を話し、勧められた抗生物質入りの軟膏を使ってみたら見事に化膿が収まる。うーん、抗生物質って便利だ。こりゃぁ気軽に使いたくなるよな。
 ペニシリンの発見が1928年だから、それからバカスカ抗生物質を使いまくって、60年くらいでやっとMRSAとかが出てきた事になる。意外と細菌の進化にも時間が掛かるものだ。物凄い淘汰圧が掛かった状態で何世代掛かったのかを考えるとくらくらするくらい長い。
 しかしながら、MRSAの登場からあっという間にVRAが出てしまったのだから、たぶん何かの閾値を越えたのだろう。ある程度以上複雑なシステムには良く見られる現象ではある。


2002/01/12

 調布在住だった友人が品川区民になったので、新居訪問。
 で、大宮駅に着いたら、浦和には止まらない池袋行きという列車が丁度あり、渡りに舟とばかりに乗ったら、1分後に大宮を発車し、さいたま新都心と浦和に止まる上野行きに赤羽の直前で抜かれた。
 赤羽でのタイムラグは1分にも満たなかったので、上野行きに乗った方が得だというような話はないものの、1分遅れて発車する上に2駅も多く駅に止まる列車に抜かれるというのは納得がいかん。
 もし、赤羽を目的地にしていたら、もっと納得がいかなかっただろう。
 どういう理由でこのようなけったいな運行ダイヤになっているのか、説明を求めるものである>JR東日本

 そんなこんなで、酒を飲み、馬鹿話などして楽しい時間を過ごす。
 途中、たぶんタイマーを忘れたおかげで撮りはぐれていると推測される「七人のナナ」の第一話を見せてもらうが、……つ、つまらん。
 作画枚数が第一話からさっぱり少ないのはともかくとしても、脚本は下手だし考証はしない方がマシなことをやったたりするだけだし、キャラの立て方も中途半端でちっとも感情移入できない。
 これは駄目でしょう。


2002/01/13

 品川区某所に泊まる。昼前に起きて朝食兼昼食を近所の中華料理屋でとり、戻ってきてカードゲーム「6ニムト」を遊ぶ。
 しばらく熱くなって加熱した頭脳を休めるべく強制休養。……といってもボーっとしていただけだが。
 16:00くらいに例によって群馬に車で帰る友人に便乗して大宮まで。都内をあまり走ることなく首都高に乗ることができるので、調布から帰るよりもだいぶ早く大宮に着く。
 夕食は大宮の街中の店でとり、友人がマンガを探しているというので、まんがの森やらLOFTのジュンク堂書店やらを連れ回し、種々買わせる。他人に買い物をさせるのは楽しいなぁ。


2002/01/14

 どうもどこからか風邪を貰ってきたらしい。終日微熱。

 齋藤了文「<ものづくり>と複雑系」(講談社選書メチエ144)[bk1で購入]読了。
 副題に「アポロ13号はなぜ帰還できたか」とあるが、アポロ13号について触れているのは、「はじめに」と題された冒頭の6ページだけである。宇宙開発の話かと思って読んだ人は「騙された」と思うことは間違いないだろう。なんとなく、本を売ろうとした編集者と売れ行きやタイトルなどどうでも良いと思っている著者の葛藤を見るような気分である。
 この本は読みにくい。非常に読みにくい。本多勝一「日本語の作文技術」(朝日文庫)を著者に読ませ、その原則に則った書き方で書き直させれば、絶対に読み易くなる。いわゆる学者先生の文章というものを久しぶりに読んだ気がする。parseは可能だが(つまりは、日本語として間違っているわけではない)、一読して意味を掴みづらい文章なのである。
 閑話休題。
 この本の主題は、従来、科学の応用として学問的には科学の一段下の従属物として見られている工学を、実は科学とは違った観点で世界を捉え、コントロールするための学問なのではないか、という仮説を立て、その仮説を側面から補強していくということにある。
 科学では、世界を単純化しようとする。物事をどんどん還元していき、最終的に統一された法則で記述しようとする。
 しかし、我々が実際に生きているこの世界は、記述可能な法則が判っていたとしても、将来を予測することができない。個々の気体分子や液体分子は、単純な力学の方程式でその運動を記述することができるが、その莫大な総体である気体や液体を流体として見ようとしたときの性質は、その方程式では表すことができない。少し前に流行した「複雑系」という言葉は、そういう意味であると思っておいても大きな間違いではない。
 しかし、現実には流体の性質を利用した飛行機は飛んでいるし、流体の性質を考慮に入れたプラントが稼働している。
 これは一体どういうことなのか。ここで、著者は工学には科学とは違った「知」が含まれていて、工学者は無意識にそれを用いているのではないか、という仮説を持ち出すのである。つまりは、工学は単なる科学の応用ではなく、科学の知識を用いつつも科学とは違ったものの見方や考え方を用いて現実世界をコントロールする為の方法を提示する学問である、ということになる。
 私は理学部ではなく工学部を意識して目指した。それは、計算機科学を扱っている理学部の学科が、私の偏差値で入学可能な学校の中には存在しなかった、という情けない理由もあるが、やはり理学よりも実学である工学を指向していたのは間違いないのである。
 一体、工学には理学に比較してどのような魅力があったのか、という問いには私は明確な答を出すことができなかった。別に明確な答など出なくてもいいのだけれど。
 しかし、この本を読んで少しだけ工学の魅力というものがどのようなものであるのかを意識できるようになった気がする。もし、学生時代や社会人になりたての頃にこの本を読んでいれば、多少は人生が変わったかもしれない。たぶん学生時代や社会人になりたての頃の私は途中で放り出してしまっただろうけれど。

 映画監督をやっているらしい井筒和幸というおっさん(私は邦画はほとんど観ないので日本の映画監督は良く判らない)が、自腹で映画を見てぼろくそに貶すコーナーがテレ朝の「虎ノ門」という深夜番組にあるのだが、「ハリーポッターと賢者の石」の悪口を言ったので映画会社から映像の使用権を得られなかったらしい。
 そんなことはどうでもいい話なのだが、その井筒監督とやらの意見をみると「なんでまたこんな野暮天が映画監督なんかできるんだろう?」と思ってしまう。
 どうもこのおっさんはファンタジーというものを観る方法を知らないのではないか。それとも他のコメントはもっと不適切でとても公開できるものではなかったので、こんな阿呆にしか見えない意見を載せざるを得なかったのだろうか。


2002/01/15

 未だ微熱が続く。
 なんかなにもかもがままならない気分。閉塞的というのはこういうのを言うのか。
 細かく雑誌などは読むのだが、まとまった本は読めない。

 世の中の哲学者の言っていることには「あー、そうそう! 俺が思ってたけど言葉にできなかったのはそれなんだよ!」と言いたくなるものがさっぱり存在しないのは、私がひねくれているからなのか、それとも世の中の大半の人と共有できる感想なのか。


2002/01/16

 「ICO」(PS2・SCEI)終了。
 Prince of Pershiaの正統的な後継者と呼べる、アクションアドベンチャーゲーム。Prince of Pershaほど容赦なく死んだりしないのと、要求されるアクションゲームの腕がPrince of Pershaほどは高くない。
 それよりもなによりもこのゲームの重要な点は、Prince of Pershaとは違ってボーイ・ミーツ・ガールストーリーになっているところだ。言うなれば、ゲームになった「未来少年コナン」とでも呼ぶべきか。「天空の城ラピュタ」でも良いけど。
 舞台はありがちな中世風ファンタジー世界。剣と魔法が幅を利かせている。主人公は頭にツノが生えたので村のしきたりによって生け贄として海の上に建つ廃墟と化した城に連れてこられた少年。
 少年は偶然に助けられて身の自由を得るが、城はまるで迷宮のように入り組んでいて、容易なことでは脱出できそうにもない。
 やがて、城の中をさまよい歩いていた少年は、檻に入れられた少女と出会う。彼女とは言葉が通じないけれども、少年は少女を放っておくことができず、一緒に城を脱出しようとする。
 文章にしてしまうとオーソドックス極まりないお話ではあるが、雰囲気たっぷりのグラフィックと聞き慣れぬ外国語(ハナモゲラ語ではないか)と字幕で展開されるストーリーに思わず引き込まれる。
 ゲームデザインとして秀逸なのは、従来あったこのタイプのゲーム(SFCの「セプテントリオン」くらいしか思いつかないが)では単なるお荷物の役割しか与えられていなかった、助けられる少女に、プレイヤーが詰まった時(アドベンチャーゲームであるからにはそういう局面は必ず存在する)のヒントを出す役割を与えていることだ。これに気付いたときには、正直、「やられた!」と叫びたくなった。「言葉が通じない」という設定が、ここで生きてくる。言葉が通じないので曖昧なボディランゲージでヒントを与えることができるのだ。
 ある程度ゲームの腕がある人間には誰彼構わず勧めたくなるような良作だが、欠点がないわけでもない。
 城が舞台のアドベンチャーゲームということで、このゲームには高いところから落ちそうになるシチュエーションが少なからず登場する。そのようなシチュエーションと、3Dで表現され、一人称視点もしくは追随する視点でのカメラワークが行なわれないというシステムは、はっきり言って相性が最悪である。というか「落ちることがペナルティにつながる」ゲームは3D表現には向かない。
 結局、TV画面で表現されている以上、完全な立体感は得られないのである。そのようなハンデがある以上、プレイヤーはフィールドに関する情報を不完全にしか得ることができず、認識の齟齬によって失敗を犯すことになる。また、移動中に行なわれるカメラワークは、プレイヤーの意図しない操作の変化をもたらし、プレイヤーが理不尽だと感じるであろう失敗を引き起こす。3Dによる表現がその欠点を補ってあまりあるとプレイヤーに思わせることができなければ、そのゲームはクソゲーだという判断が下されることになるだろう。
 一般論で書いてしまったが、このゲームにもしっかり当てはまる。グラフィックは文句なく美しいが、これは好き好きという面もあり、その価値は相対的である。人によっては欠点が容認できないレベルに達していると感じるだろう。
 閑話休題。
 このような「ゲームらしいゲーム」がさほど話題にもならず、売り上げも芳しくないというのは嘆かわしい事態である。頭を使わないお手軽な娯楽がもてはやされるというのは今に始まったことではないが、娯楽にくらい頭を使わずして、一体なんに使うというのか。ルーティンワークや暗記では頭を使ったことにはならないというのに。


2002/01/17

 主に関西方面で私の誕生日を大々的に追悼してくれているようで、ありがたくて涙が出ます。

 そうか。MacWORLD EXPO Tokyoの前にSeybold N.Y.があるのか。New Power Mac G4はそこで発表だな。
 つーことはTokyoではPowerBook G4の新モデル?(いや、実際ちょっとあの価格の割には液晶画面の表示能力が足りないんではないか。横はともかく縦の最大が768というのは今時ないんでないか)


2002/01/18

 皇牙っていう力士がいるのか……。読みもちゃんと「おうが」だ。
 雷童もいるぞ。ちょっと惜しい。違う部屋に所属しているから雷童対皇牙という取り組みもちゃんとあるだろう。どっちも幕下だけど。
 でも相撲取りだから腐女子的には嬉しくないのだろうか。それ以前にもう旬を過ぎてしまっているという話もある。もっと以前に、メカで萌える腐女子はそんなに多くないと思われ。

 雑誌と文庫本と新書とマンガ単行本を買う。雑誌が一番割高だ。Comickersとか買ってるから余計にそう感じるのだろうが。文庫本も新書とそんなに値段が変わらなくなってきてるというのがなんともかんとも。

 MacPowerで、ようやく新iMacのマザーボードの写真を観る。
 本当に青いし。普通のユーザは見ることのない部分に凝ってどうするんだ、おい。
 JobsがSculleyによって追放されるまでは、Appleはマザーボードのデザインにも美しさを求める会社だったのだが、この新iMacにはそこへの回帰も見ることができる、と言ったら贔屓の引き倒しだろうか。
 とにもかくにも、新iMacは旧iMacに比べれば格段に金の掛かった機械であることは間違いない。あんな値段で売って利益が出るのが不思議なくらいだ。だからといって値段を上げればCubeの二の舞になることは解り切っているだろうし、ゲーム機じゃないんだから赤の出る価格設定をする筈もないのだが。


2002/01/19

 1/14の日記で触れた「ものづくりと複雑系」という本には、工学で頻繁に利用されるという「ヒューリスティック」という概念が現れる。
 取り敢えず意味の解らない単語に出会った時には辞書を引く、ということで(HAL9000のHはHeuristicallyなので、初見ということはないのだけど)、辞書を引いてみよう。

 heu・ris・tic
 形(学習者の)発見を助ける; 自発研究をうながす, 発見的な: the 〜 method of teaching 発見的教授法.
 -名[複数形で; 単数扱い]発見的教授法.
(研究社 新英和中辞典より引用)

 ……なんか余計に解らなくなったような気がする。
 本の記述を参照すると、Heuristicというものは、限定された範囲内では現実に良くマッチするが、真理ではなく、互いに矛盾することも有り得、通常の場合、実証も反証も不可能なものであるらしい。要するに経験知と呼ばれているものに近い印象がある。
 複雑系であるところの実際の社会を動かしているものは、理想化された世界から抽出された科学的真理ではなく、Heuristicである。科学的真理は、普遍的に正しいが、複雑系である現実世界では通用しないのだ。なぜなら、それは還元されすぎてしまっていて、現実世界に対応させるための資源(時間や計算資源が主なものである)が絶対的に足りないからである。
 ここで、究極の複雑系とも言える人間の心理に対して実学的アプローチを行なわなければならない臨床精神医学というものも、Heuristicの集合体なのではないか、という考えが浮かぶ。
 要するに読冊日記の記述に触発されて思いついたものであるが、科学実証主義が万能ではないことが判ってはいるけれども、有用なアプローチ手段が確立されていない世界に於て、このような着眼点は悪くないと思うのである。
 これまでの精神医学によって蓄積されたそれなりに莫大な知識群を、Heuristicという着眼点の元に再編成し直すという作業は、結構面白そうだし有意な結果も出せるような気がするのであるがどうだろうか。

 鎌田東二「神道とは何か」(PHP新書)[bk1で購入]読了。
 あとがきで「高校生にもわかってもらえる本を書きたいと思った」と書いているように、全六章のうち、四章までは著者独自の見解も混ざってはいるが、縄文時代から明治以降までの神道を中心とした日本の宗教の歴史を概観していて、入門書としてはよくできていると思う。どれくらい主流から外れているのかが判らないのが難点といえば難点。
 五章と六章は、筆者の世界観の説明に終始している観があり、それに論理的飛躍が多々見られるので、筆者と価値観を一にしていない人間にはちと辛いものになっている。
 それはまあいいとして、なんで哲学畑の人ってのは一般的でない外国語をカタカナで使うかな。せめて原語のまま使ってくれれば意味を調べようもあるのに、カタカナにされてしまってはスペルがわからんのでお手上げである。「ポトラッチ的」とか「コスモロジー」とか「アーカイックな心性」とか「クレオール的文化」とかいきなり何の説明もなく出てきて解ります? 途中の二つはなんとなく解るけど。


2002/01/20

 昨日の話だが、下らんと思いつつもその時間帯に見るべき番組がないためについつい見てしまう、テレ朝の「これマジ!?」の話である。
 アポロ計画がでっちあげである、という話題だったのだが、もう宇宙機や宇宙計画や物理学に関する知識がまるでない連中の戯言のオンパレードで、「手前等、その汚ねぇ手で俺のアポロ計画に触るんじゃねぇっ!」と叫んで関係者の胸ぐら掴んで揺さぶりたくなるような内容だった。
 米国では洒落で作ってるんだろうが(「カプリコン・1」をマジで作ってたら泣くぞ)、テレ朝が洒落で流してるとも思えんし、日本国民の知識はあれが洒落であると解るほど高くないのは、Weekly World Newsの記事を引用してマジなコメントを付ける雑誌があったりすることからも良く解る。
 ちなみにNASAその他の宇宙関係者の皆さんは、馬鹿を構っていられるほど時間の余裕も予算の余裕もありません。
 ご苦労なことに、ちゃんと全部論破しているサイトがあるが、英語である。ま、IT革命の世の中で英語もできないような方は、デジタル・ディバイドの先に当然やってくるであろう、イングリッシュ・デバイドに取り残されて野垂れ死んでください。
 関係ないけど、二日で捕まえることができる、体長3mのタコって珍しいんですか?
 テレ朝って最初は教育放送免許で始まったんだけどな……。放送内容がちっとも教育的じゃないから普通の免許に変更したんだかさせられたんだかしたのだが。

 精神分裂病が統合失調症になったそうで。
 ……相変わらず、病気のモデルが理解できていないとどんな病気だかさっぱり解らん名称ではある。両方足すと結構モデルの説明になってるかも(そのモデルが正しいかどうかの検証はできてないような気がしてならないが)。
 名称が内容を説明している必要は必ずしもない、というか世の中の大抵の物は説明なんかしていないのだけど。


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