02年2月上旬の世迷い言


2002/02/01

 国際宇宙ステーションを見た。
 17:40頃に家を出て、医者に向かって歩いていた。
 何気なく空を見上げたら、見慣れない位置に一等星くらいの明るさの星があった。
 なんだろうと思って見ていたら、どうも動いているように見えた。
 最初は自分が移動している所為で、背景(地上物であるので、空よりも手前にあるのだが、この場合は背景と言うのがしっくり来る)が動いているために錯覚を起こしているのだと思った。しかし、その光はどんどん木星に近づいていく。動いているのは確かなのだ。
 日没からさして時間が経っていないので、人工衛星だとはすぐ知れた。大雑把に言って西から東へ向かっているので、一般的な人工衛星の周り方とも一致する。
 小学生の頃、鍵を家に忘れるだか落すだかして、親が帰ってくる19:00近くまで外で待ち続けたことがある。その時にも人工衛星を見た。この時は、北から南に向かっていた。これは極軌道だったのだろう。その時もすぐに人工衛星だと思った。まだ私はエイリアンクラフトとしてのUFOの存在を疑ってはいなかったが(私の実家の近所だけのUFO目撃記録を記した新書サイズの本があったのだ)、世に言われているUFOの飛び方とは明らかに違うので、UFOだとは絶対に思わなかった。
 私の実家は今いる場所よりはずいぶんと田舎なので(私が小学生の頃ともなれば、とんでもなく田舎だった)、空はずっと暗くて星はたくさん見えた。星を背景にして結構な速度でよどみなく進んでいく人工衛星の光は、とても美しい。瞬かず、真っ直ぐ進んでいく光は、言葉では説明できないくらい美しい。人類の先端の一つがそこにある、という感動だけではない美しさがそこにはある。
 閑話休題。
 なぜその光が国際宇宙ステーションだと判るのか。それはここを見て一番データと一致するのが国際宇宙ステーションだと知ったからである。私が小学生の頃には、こんなことは調べようがなかった。私が見た衛星は、どこの国のなんという衛星か、今となっては知る術もない。いや、当時からよほど特殊な知識を持っていなければ、人工衛星が何時何分どこの上を通り過ぎるのか、等ということは調べることはできなかった。これだけでも良い時代になったと言ってもいいんじゃないかと私は思う。


2002/02/02

 昨日やってた「ジャンヌ・ダルク」の主人公の描写が、ちょうど今読み進めている「治療文化論」という本の中で紹介されている、「文化依存症候群」の説明とあまりに被っていて、しかも「文化依存症候群」は西洋文明中には存在していない、ということになってるらしくて、それは単に西洋文明自身が自分を客観的に見ることができないだけなのではないか、とちょっと思う。

 サイエンス・アイの「膜宇宙論」の説明が、中途半端でさっぱり判らない。
 あれで判るのは実際に膜宇宙論を研究している人間だけなのではないだろうか。

 そういえば、この一週間は「省エネルギー」の「ディスプレイのスリープ」をOnにしてOS Xの連続稼働を試しているのだが、今のところフリーズは起こしていない。
 一体なにが違うのか。やはり一日以上家を空けないと再現しないのか(そんな呪術的解決法は嫌だが、コンピュータの世界ではしばしば観測される。単にシステムの全体を観測できないがゆえに呪術的解釈しかできないのだろう)。


2002/02/03

 なんか最近、体調と天候が連動しているように思えてならない。雨の日はとことん身体が動かない。
 単なる気のせいだとは思うのだが。

 NHKスペシャル「アフリカ21世紀」の第二回を観る。
 イスラームというものは、とことん中近東付近の自然環境に適応した合理的な宗教であるという感を強くする。
 ユニセフって、昔っからなんとなく好きではなかったのだが、それってやはり、キリスト教的世界観を唯一絶対の正しいものとして他者に押しつけてくる善意の(これ重要)集団という恐るべき集団だということに薄々気付いていたからなのか。
 理想は人間社会にとっての麻薬である(これは、砂糖が人間にとって麻薬であるという定義に近い。辛党の人には理解できないかもしれないが)と私は常々考えている。不要物ではないが、過剰であることは危険な状態だと思うのである。
 善意の集団というのも、独善的になった瞬間に恐るべきものと化すことが多い。しかも矯正不能だったりするのが始末に負えない。

 海老一染太郎師匠死去の報。
 染之助師匠は芸を続けていくそうで、良くも悪くもマンネリであった芸が新しいものになることを少しだけ期待。


2002/02/04

 H-IIAロケット2号機が無事に打ち上がった。
 離床してから約10秒後にSSBに点火された時の、噴射炎の爆発的な広がりなど、物凄い格好良い。ちなみにSSBに最初から点火してしまうと、発射台へのダメージが大きすぎるので十分な高度を得てから点火されるそうだ。LSBとか付いた場合はどうなるんだろう?
 民生用部品が宇宙空間で実用に耐えるかどうかを検証するMDS-1は無事に軌道に乗り、「つばさ」という愛称が付けられた。
 が、もう一つのペイロードである高速度大気圏突入実験衛星であるDASHは、フェアリングから分離できず、フェアリングと共に軌道に乗っているようである。DASHは75cm×50cm程度の小さな衛星なので、直径4mもあるH-IIAのフェアリングとくっついていたら、まともな姿勢制御などできよう筈もない。
 HYFLEXが沈んでしまったので(某国に先に回収されてしまったという憶測もあるが)、予算が縮小されてこうなったのかと思ったのだが、どうやらそうでもないらしい。
 日本の衛星制御は職人芸なので(今まで、「失敗した」と報道された衛星で本当になんにも出来なかった衛星はそんなにない。元々打ち上げ数が少ないのもあるのだが)、そのうちなんとかなるだろう。

 インストールをするだけしてほとんど使っていないというのに、EGWORDのアップグレードの案内が来た。
 ルビを振りたいなどという凝った要求がない場合は、AppleWorksで事足りるのでほとんど使う必要がなかったのである。
 というか、OS Xの機能をやっとまともに使えるようになったのだから、EGWORD11のアップグレードをした人間は無料でアップグレードとかそういうサービス精神はないのか>エルゴソフト

 とうとうタイムスリップグリコにまで手を出してしまった。
 しかし、いきなりTOYOTA 2000GTが出たので、これで止めちゃってもかなり良いような。あと欲しいのはスーパーカブくらいだし。
 それにしてもできが良い。流石海洋堂。
 そういえば、フルタと切れるという話が出ているのだけど(海洋堂のHPを見ていた人間にはほとんど旧聞だと思うが)、戦車シリーズはどうなるのだろうか。


2002/02/05

 昨日、無事打ち上げられたH-IIAのピギーバック衛星「DASH」だが、ISAS運用を断念したようだ。
 ピギーバック衛星だけあって、ぎりぎりまで切り詰めた設計になっているようで(他のペイロードのついでに上げる衛星なのだから当然だが)、電池がもう持たないらしい。
 残念ではあるが、H-IIAのメインペイロードはMDS-1VEP-3なのと、DASHの切り離し機構のH-IIA側は動作したというデータが来ているので、H-IIAの動作には何も問題はなかったといえる。
 今回のメインは、LE-7Aエンジンのインデューサーである。H-IIの5号機と8号機が連続して失敗した(7号機はキャンセルされたし、6号機は5号機よりも前に打ち上げられた)原因となった部品である。この改良は、H-IIA1号機には間に合わなかったのである。つまり、本来のLE-7Aがようやく実運用できたという意味で、この打ち上げの意味は大きい。
「リレーとはなにか?」という小学校か中学校の教室で行なわれたがごとき質問があった打ち上げ後の記者会見だが、その中で「メインノズルの延長」に関しての質問に対し、NASDA側の回答が今一つはっきりしなかったのは、言ってしまうとそれを行なうことが当然期待され、失敗すれば叩かれまくるというこの国の体質からして仕方がないのかもしれないが、少々残念なことではある。


2002/02/06

 頭痛。何もなかったわけではないが、書く余裕がない。

 DASHに関しては、ここのNo.593を参照のこと。日本人は実は昔からこんな風(やるからには完璧を要求する。少しでも瑕疵があれば、大局的には上手く行っていても大騒ぎする)だったのである。例えば、自殺に追い込まれたマラソンランナーとかな。


2002/02/07

 外出。
 昨日も実は外出していた。
 なんか外に行く用事がある時に限って、3月並みの気温とかいって中途半端に温かくて、やたらと汗をかく結果になるような気がするのだが、気のせいだよな。気のせいに決まっている。

 中井久夫「治療文化論」(岩波現代文庫)[bk1で購入]読了。
 想定されている読者の知識レベルが、少なくとも精神医療の基本用語や世界史などの基本知識を身につけているレベルになっているようで、1/3くらいしか理解できなかったので読了と言って良いものやら。
 中に登場する「標準化志向型・近代医学型精神医学」というものが、理学指向の精神医学なら、それに対する「力動精神医学」(どうもこれはDynamic Psychiatryの訳語らしい)というものは工学指向の精神医学なのではないか。
 力動精神医学の諸流派の「原理的に統一できず相矛盾さえする」というところは、まさに「ものづくりと複雑系」(感想)で提示されたヒューリスティックと同じである。たぶん力動精神医学の諸流派は、それが有効なうちは原理を気にすることなく適用され、役に立たなくなればただ忘れ去られるのみであろう。
 医学というものはミクロコスモスとも呼ばれるくらい複雑な人体を対象にしていて、しかも即効的な役割を求められているのに、主流的な考え方が理学指向だというのはいかにも不思議な現象である。たぶん、そういうところに怪しげな民間療法がつけいる隙があるのだろう。医学者が理学的アプローチで問題が解決できると信じていたとしても、それを一般人は信じることができないのは、理学と工学がきちんと分かれて学問として成り立っていることと合わせて考えると、非常に好対照を成していると思う。
 と、自分の土俵に引きずり込まないと、何にも書けないのである。理解できないから。


2002/02/08

 HDDの値段も上昇傾向なので、しばらくの間はつきあうことになるであろうPismoの内蔵HDDを流体軸受けの30Gに換装してみた。
 これまではデフォルトの12Gだったので、3倍弱の容量があれば、しばらくは持つだろう。というか他の選択肢が60Gで8万円じゃ手が出ません。
 まずは普段はYosemiteにつないでいる34G Firewire HDDをつないで、バックアップ。この時はどういうわけだか、ドライバ等をインストールした覚えが全くないにも関わらず、さっさと認識されて、バックアップ自体は純粋にファイルコピーに要する時間だけで終わる。
 で、システムを落として、電源を抜いて、バッテリも抜いてキーボードを開け、多少試行錯誤しつつもHDD自体の交換は終わる。Torxドライバが必要だが、これもごく簡単。余裕のある設計になっている(すなわち筐体がでかいという意味でもあるが)Pismoの面目躍如である。
 で、OS9.2のCDで起動し、パーティションを切って準備完了。9.2をインストールし直してFirewire HDDを接続。……認識しない。
 ドライバを入れてやれば認識することは判っているのだが、肝心のドライバが入っているCDが埋もれていて見つからない。Yosemite側のOS 9のそれらしき機能拡張を入れてやっても駄目。
 しょうがないので、ネットワーク越しに先ほどバックアップした9.2.2を書き戻し、もう一度つないでみるがやはり認識しない。さっきまで認識していたのに何故?
 OS XではFirewireの機器はドライバなど全く必要なく当然のごとく認識されることは判っていたので、OS Xを導入することにする。私はADCの有料メンバーだったので(過去形なのが情けないが)、OS Xのインストール媒体はAppleから送られてきたものと自分で買ったものの二つある。普通に考えれば、これはOSの使用権も二つあると考えても差し支えなかろう。
 んが、ADC会員向けに配布されたOS X 10.1の媒体も、OS X 10.0がインストールされていることを要求する代物であった。なんじゃそりゃ。
 しょうがないので、OS X 10.0をインストールし、念の為にソフトウェアアップデートを掛け、10.1をインストールしてさらにソフトウェアアップデートを掛けるという、あんまりやりたくない不毛な作業を延々することと相成る。何が不毛って、64kbpsの回線越しに60MBytes以上のファイルを落としてこなければアップデートできないのである。これを不毛と言わずして何を不毛と言うのか。
 今、店頭で売られているOS Xのパッケージは、ちゃんと10.2になっているのだろうか? なんか入手したユーザがどういう思いをするかを考えると、10.1であったとしてもかなり暗澹とした気分になる。
 とまあ、後から書く分には、このような言い訳も書けるわけなのだが、実態は違っていた。今回は、Firewire HDDが認識されれば良いので、10.0でも構わなかったと言えば構わなかったのだ。しかしながら、10.1で明らかに動作が高速になっていることを考え、10.1までアップデートしてみたところがDockが立ち上がってこないという、かなりひどい状況になってしまったので、否応がなしにも10.2へアップデートしなければならなくなってしまった、というのが事の真相である。なんかAirMacも動作が怪しげだったし。
 ハードウェアの載せ換え自体はあっと言う間に終わったにも関わらず、ソフトウェアの移行で無茶苦茶時間が掛かってしまった。疲労感は倍増どころの話ではない。ここしばらくメインで使っていたのはPismoだったので、Web巡回もメール読みもできなくなってしまったのも精神的疲労感を増した。
 OS X上でコピーしたOS 9のファイルは、デスクトップ情報が抜け落ちてしまったり、AppleScriptベースの機構がうまく働かなくなってしまったりと、いろいろ問題も多い。コピー中に明らかにファイル名が化けているものがあったりして、きちんとコピーできているかどうか今一つ信用できないところもある。
 その苦労の代わりに、HDDの回転音は以前に比べれば全くないと言っても過言ではないレベルにまで低下した。今となってはVAIO SRの動作音の方が大きい。もっと早く換装しておけば良かった。

 谷原秋桜子「激アルバイター・美波の事件簿 天使が開けた密室」(富士見ミステリー文庫)[bk1で購入]読了。
 なるほど、これはちゃんとしたミステリにはなってるわ。トリックがあって、不可能犯罪に見える事件が起こって、合理的な解決が行われる。
 ミステリにはなっているが、主人公の主観で進む形式なのに、主人公に魅力がさっぱりない。この主人公はフィクションの登場人物としては普通すぎる。半端に人が良くて、半端に目端が利いて、半端に頭が回らない。キャラが立ってないというのはこういうことを言うのか。
 というわけで、事件が起きるまでの約2/3(これもミステリの構成として如何なものか、と思うが)を読み進めるのが辛くて仕方がない。
 ミステリにはなっているが、ライトノベルとしては不合格。ライトノベルよりは多少読みにくくても許されるであろうエンタテインメント系の小説だと考えても不合格だと思う。
 トリックも別にびっくりするような凄いものではないので、今後に期待、ともあんまり言えない感じ。主人公以外のキャラはそれなりに立っているように思えるのに、なぜ主人公だけこんなに中途半端なのか。編集はこの辺が気にならなかったのだろうか?


2002/02/09

 ∀ガンダム映画版、「地球光」を観に行く。
 VisorにインストールしたTRAINによると、武蔵野線経由で行くのが、東武練馬への近道であるらしい(近場のワーナーマイカルで∀をやってるのはここくらいなのだ)。
 その御宣託通り、京浜東北線で南浦和、武蔵野線で北朝霞、とここまではスムースに事が進んだのだが、そこで恐るべき罠が待ち受けていようとは、東京都に住んだことはない人間には思いもよらぬことであった。
 北朝霞からの乗り換えは、東武東上線朝霞台駅になる。こっちは東武東上線といえば、池袋から出ているという頭しかないので、ホームに出て最初にやってきた「池袋経由新木場行き各駅停車」というのに素直に乗り込んでしまった。
 んが、こいつは和光市から有楽町線になってしまい、東武練馬を経由せずに池袋を通って新木場まで行く列車だったのだ。
 そんなもん、初めて来た人間が判るかぁっ!
 なんか変だと気づいたのは、和光市を通りすぎて地下に入ってしばらくしてから。しょうがないので池袋で降りて、わざわざ東武東上線の下りで東武練馬に行ったのであった。馬鹿みたい。
 で、ワーナーマイカルは土曜の昼間だというのにロビーにはそれなりに人がいる。なんか「オーシャンズ11」専用と書かれた列があったのだが、実はそんなことは関係なく、ただ単に長く並ばされただけのようであった。それにしても、普通の人ってのは、観る映画を決めないで映画館に来るものなんでしょうか?(「何観ようか」と言ってる人々を何組か見かけたもので)
 かなり時間に余裕をもって出発したために、上のような遠回りをしても30分以上時間が余ったので、ぶらぶらして時間をつぶす。ワーナーマイカルのロビーは暗くて読書には向かない。
 やっと入場してみたら、席は1/4も埋まらない。えーと、3回目の上映とはいえ初日なんですが、大丈夫なんでしょうか?
 内容はまぁ、TV版のダイジェスト以上ではないような。初代ガンダムの劇場版よりはダイジェスト風味が強いと思う。ザブングルグラフティよりはマシだけど。TV版をもう一度観返したくなる。放映当時は適当に観ていたつもりだったのだが、結構覚えているものである。
 ∀に登場する新型のモビルスーツは、地上を移動する際に腰が全く上下動しないという、非常に独特な描写をされているのだが、あれは人間が乗る歩行機械としては全くもって理に叶っているのである。あれを格好悪いといって笑った人々が某所にいるが、それは彼らのセンスの方が古臭いのだと私は思う。
 なにがしかの重力の影響下における宇宙機動戦闘のまともな描写が映像で観られるのは何時の日になるのだろうか(戦闘でなければ既にいくつかある)。

 Bフレッツの宣伝がNTTから舞い込んだが、これはもう利用者を舐めているとしか思えないサービス内容である。
 なんで光回線で音声通話はできないのか? 設置負担金を既に払っている人間が、何ゆえもう一度ファイバの工事代金を払わねばならないのか? クソ高いISDNの基本料金を払わせてたのは一体全体どこのどいつだ? ADSLの登場で利用者から見た場合のアナログ回線とISDN回線の差異はもうなくなったか、ISDNの方が却って不利になっているのだから、さっさと料金体系を見直すべきである。判っててわざとやってんだか判ってないんだか区別がつかないところが恐ろしいところ。


2002/02/10

 続けて「月光蝶」。
 ……なんかいきなり豪快に話が素っ飛んでますが、これはこれでいいんでしょうか? TV版観てない人は着いてこれないのではないか。
 「地球光」の前半ほどではないが、ダイジェストっぽさはどうしても感じてしまう。この辺は、ビデオ予約に失敗するだかテープが終わってるのに気づかなかっただかで、観ていないエピソードがちらほらあるのである。
 やはり一番気になるのは、月面上での人の動きが地球上と全然変わらないことか。重力制御でもやってんのかね。
 外に出た時のターンエーの動きに、1/6重力っぽい感じが少しだけあるのだが、それがあるがゆえに余計に都市部での人の動きが気になったりする。
 まぁそういう細かい所は元がちゃんとしているからこそ気になるんであって、元がたいしたことなかったり、酷かったりした場合はそっちの方がよほど気になるものである。

 エリック・ガルシア「さらば、愛しき鉤爪」(ヴィレッジブックス)[bk1で購入]読了。
 LAに住む、相棒を事故で失ってヤク中になりかけている私立探偵が主人公のお話である。
 となれば、想像できるのはばりばりのハードボイルド。男のやせ我慢の物語である。語り口も洒落ている。アクションもたっぷり。ロマンスもそれなり。
 が、ちょっと待て。「鉤爪」ってなんだ? それに原題は"Anonymous Rex"と来た。Rex? 鉤爪? これらの単語から想像できるものといえば……、そう。恐竜だ。
 驚くなかれ。主人公、ヴィンセント・ルビオは、かの映画によって世界中で名を知られるようになったヴェロキラプトルなのである。
 ヴェロキラプトルが主人公ということは、白亜紀が舞台なのか。答はノー。白亜紀にはLAなんて名前の街はなかった。そもそもアメリカ自体がなかった。舞台はれっきとした現代。
 では何故ヴェロキラプトルが現代のアメリカでヤク中の探偵などやっているのか。
 実は恐竜は、中生代の終末を告げる大絶滅を生き延び、我々人類が知性化するずっと前から知性化を果たしていたのである。しかも、精巧に作られた人間のかぶり物をかぶって、人類社会に溶け込んでいる。
 こんな馬鹿な設定の小説を書く人間は、田中哲弥か森奈津子くらいしかいないかと思っていたら、しっかりとアメリカにもいたのである。しかも、設定以外は大真面目に書いてある。ストーリーもちゃんと設定を生かしたミステリになっている。設定以外は至極真っ当な探偵小説なのだ。
 これが滅法面白い。本文510頁にも渡る分厚い本なのだが、読みにくいなんてことはこれっぽっちも思わずに一気に読んでしまえる。
 SF的には突っ込みどころ満載なのだけれども、法螺話としてはこれで充分。いや、十二分。
 法螺話を聞くのが好きでたまらないという人なら、読んで損はない。


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