第1回 端正なるモダンパズラー「Xの悲劇」

 
【前口上】
若いミステリファン、ことに新本格とよばれる一連の作品群からこのジャンルに入門してらっしゃった人たちは、
あまり古典的な本格ミステリをお読みにならない、と聞きました。
ぼくのように、いろいろ読みたくても古典しかなくて、否応なくそればかりを読み続けてきた世代とは違い、
いまや膨大な「新本格ミステリ」が書店にあふれ、本以外の「愉しみ」の選択肢もまた信じられないほど豊富な時代です。
なにも苦労して古くさく読みにくい古典本格なぞ読む必要はさらさらない。
それは、わかります。わかりますが、しかし。だからといってすっぱりこれを切り捨ててしまうのは、あまりにも勿体ない。
なにしろここは、巨匠と呼ばれる先人たちが競い合って育て上げてきた豊穰な森。
その広大な広がりには、今もなお読み手に新鮮な驚きと感動を与えてくれる実り/名作が少なからず存在しています。
できればその実りの一滴なりと、若い皆さまに味わっていただきたい……そう、愚考した次第。
当方のささやかな知識と経験を総浚えし、
なおかつ若い皆さまの視点に立って幾冊かの古典本格ミステリを選び出し、ご紹介しようという趣向です。
したがいまして、講座などと偉そうに銘打っておりますが、
これは皆さまにその本を「面白そう」と思っていただくための長めの惹句の如きもの。気楽にお読みいただければ幸いです。
 
エラリー・クイーンという作家は、おそらく皆さんも名前くらいは聞いたことがおありでしょう。
いわゆる欧米の本格ミステリの黄金時代を築き上げた巨匠として、
もっとも有名な1人(といっても実はこの名前は2人の人物による共作用のペンネームなのですが)。
いうなれば「謎の提示とその論理的な解明」を主眼とするパズラーとしての本格ミステリの「型」を作り上げた作家です。
たとえばクイーンの看板シリーズである「国名シリーズ」の多くでは
謎を示し、手がかりを揃え、さあ謎解き!となるラストの直前に、作者自身が顔を出すことが間々あります。
読者に向かって一礼した作者は、芝居気たっぷりに
「いまや手がかりは全てあなたの目の前にあります。さあ、謎を解いてみなさい」と読者に挑戦します。
これこそが、ミステリ史上名高い「読者への挑戦」と呼ばれるギミックです。
稚気あふれる趣向ではありますが、この「読者への挑戦」には、作者自身の自作に対する並々ならぬ自信がうかがえます。
まさにそれは、徹底したフェアプレイ精神と、
作者と読者が同じ土俵で競い合う純度の高い知的ゲームとしてのパズラーの「証明」なのです。
さすがに現代の新本格の作家でこの「読者への挑戦」をやる人は少ないようですが、
ぼくのような古手のファンになりますと、これが出てきただけで「おッ」となって嬉しくなってしまうわけです。
 
クイーンの作品は、たとえば同時代の巨匠であるヴァン・ダインやカー、クリスティらと比べると
一味違うモダンさ、都会的な感覚を備えています。よい意味でソフィスティケーションされていると申しましょうか。
クイーンのこのソフィスティケーションと、先に述べたフェアプレイに徹した強いゲーム性は、
後のミステリトレンドに大きな影響を与えました。
実のところこの影響をもっとも強く受けたのが日本のミステリ作家でありまして、
日本の本格ミステリを作り上げてきた先人たちはもちろん、
現代の新本格作家のなかにもクイーンを信奉する方は少なからずいらっしゃいます。
 
さて……能書きはこれくらいにして、作品そのものを見てみましょう。
物語はニューヨーク市警のサム警視とブルーノ検事が、引退した名優、ドルリイ・レーンの家……
といっても、ハムレット荘と呼ばれる中世の古城を思わせる邸宅なのですが……を訪れるところから始まります。
ある事件で行き詰まった二人は、別の事件を鋭い推理で解決したレーンに智慧を借りにきたのです。
レーンに促されサム警視が話した事件とは次のようなものでした。
豪雨に煙るニューヨーク。満員の路面電車の中で1人の男が殺害されます。
猛毒を塗った針玉をポケットに入れられ、手がそれに触れて死んだのです。
しかもそのバスには被害者に恨みを持つ人物が何人も同乗していました。
話を聞き終えたレーンは事件を引き受けるのですが……。
 
この後、矢継ぎ早に第二第三の殺人が起こり、事件は混迷を極めていくのですが、
なんといっても謎解きの焦点はこの冒頭の殺人にあります。
パズラーを成功させるための方法論の一つとして、容疑者を限定させるためのクローズドサークルという手法がありますが、
作者は孤島や雪に閉ざされた山荘などという大時代な舞台を用いることなく、
満員の路面電車という(当時としては)モダンな舞台を用いてこれをあっさり実現しています。
殺人の手段もかなり異様(びっしり針を植え込み猛毒を塗ったコルク玉!)ではありますが、ごくごくシンプルで、
犯人の側にも作者にもトリックに類する詐術などはありません。
さらにいえば、手がかりもおそろしくあからさまな形で読者の目の前に提示されており
……すなわち読者がじゅうぶんに注意深く賢明であるならば、
この冒頭の事件を読み終えた時点で真犯人を指摘することすら可能なのです。
 
「Xの悲劇」という作品は「Xの悲劇」、「Yの悲劇」、「Zの悲劇」、そして「最後の悲劇」と続く、
クイーンの悲劇4部作と呼ばれるシリーズの最初の作品です。
このうち「Yの悲劇」は、日本でオールタイムベスト等を選ぶと必ずといっていいほどナンバー1か、
それに準ずる位置にランクされる名作中の名作です。
それならここで素直に「Y」をあげればよいようなものですが、
実のところ「Yの悲劇」の全編を覆っている重厚かつ暗鬱な雰囲気は、
読みやすさ・取っつきやすさという点でいささか辛いのです。
ひとことでいって、たいへんアクの強い作品なのですね。
読み慣れたファンにとっては、そのアクの強さも含めて、
「これはよい」
と、なるわけですが、読み慣れぬ方には、さてどうでしょう。
その点「X」は、シンプルなストーリィに伏線と手がかりがバランスよく配置され、
入念にソフィスティケイトされた(比較的)読みやすい作品です。
作者はこの一編の謎解き物語からパズラーとして不必要な要素を徹底して排除し、
読者が謎解きのロジックのみを純粋に楽しめるよう、作品全編をこれに奉仕させているのです。
 
このある種の潔さ、そしてそこから生まれる明快さ。それがこの名作の最大の「売り」です。
当然ながら、いわゆる「後期クイーン的問題」と称される文学的葛藤もこの「X」では陰も形もなく……
この作品で作者は、文字通りパズラーの素晴らしさ・愉しさを、もっとも純粋なカタチで培養しているように思われます。
むろんラストでは、周到に配されていた手がかりの数々が丹念に集められ、
名探偵ドルリイ・レーンの手によって透き間なく組み上げられていきます。
手がかりが、まさに「そこしかない」という場所にぴたりぴたりとはまっていく快感。
そしてそれが見事に織り上げられ、一枚の華麗な論理のタペストリーとなった時の驚き。
シンプルでありながら精密きわまりないその謎解きロジックは、
本格ミステリの長い歴史が生み出してきた多種多彩な謎解きの中でもっとも美しく、精巧なものの1つといえるでしょう。
また、クイーンはいわゆるダイイングメッセージに異常なほどこだわりつづけた作家ですが、
この作品でサブ的に扱われているそれ……被害者が指を組合せて作った「X」の文字の謎……は、
他のどの作品に比べてもシンプルで明快な解かれ方をしており、
ダイングメッセージものとしても、ぼくはこの作品をもって嚆矢としたいと思います。
 
古くさくなっている部分がないとは申しません。
しかし、いわゆる古典本格という言葉から連想される大時代さ・古色蒼然としたけれん味はほとんどありません。
どうぞ安心して、この「本格のなかの本格」を存分にお楽しみ下さい。
 

 
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