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第5回 本格ミステリの「いま」-1 VS 松本楽志さん
今回のお客様
松本楽志さん
のProfile
京都大学に学ぶ学生にしてネット界屈指の論客。ごぞんじ京大ミステリ研にも一時籍を置いてらっしゃいました。古典から新本格に至る、その幅広い知識と緻密な分析には多くの支持者がおり、切れ味鋭い書評はMAQの目標とするところです。お読みになったことがない方は、ぜひHP「ぱらでぁす・かふぇ」へ。
sect
01
■
原体験の違いとスタンスの違い
M
松本さんから見ると、ぼくなんかはきわめつけのオールドファンってことになるでしょうね。
逆にぼくからすれば、新本格から読み出したという現在の新本格ファンなんかは、ただもうそ
れだけで驚異的って感じがするんですが。
楽
そうですか(笑)。でも、僕は新本格で「入門」というわけでもないんですよ……綾辻さんの
デビューは僕が小学生の頃ですが、実際に「十角館」を読んだのは文庫になってからなんです
よ。まあ、たしかに今活躍している作家さんやMAQさんらオールドファンがミステリ的な原体
験を受けた年頃には、僕の回りにはすでに新本格があったんですけどね。
M
う〜ん、ジェネレーションギャップ!(笑)綾辻さんのデビュー当時、すでにぼくは社会人で
したからね。ともかくそれは、当時のぼくなんかに比べると羨ましすぎる環境ですよ。古典的
名作から新本格まで自由に選べるわけでしょ。ぼくの場合、意図的にミステリを読み出したの
は社会派全盛の時代で、本格ものを入手すること自体ひじょうに難しかった。特に家が田舎だっ
たのでポケミス(まだ文庫はなかった)を置く本屋なんて無くて、頼みの綱は創元推理文庫
(笑)。必然的に海外もの、それも古典ばかりになってしまうわけです。国産ものはいくら読
みたくても本そのものがなかったし。
楽
逆に僕の場合だと、小学校卒業時にはすでに読むことのできるミステリは世間に溢れすぎてい
た(笑)。……このあたり、MAQさんの「ほかに読むものがなかった」時代とは正反対です。
M
つまり、選択肢がいくらでもあったわけですね。じゃあ、ことさら古典なんて読む必要もなく
なっちゃいますね。
楽
そうですねえ、人間って、やっぱ入口は「入りやすい方」に流れがちでしょう?たしかに小学
校低学年の頃、海外物のジュブナイルにはまったりもしましたが、そのまま海外物を、という
流れはあまりにもしんどくて。横溝も数冊読んだだけではまることはなかったし、海外ものな
んて読みにくいものを読むのは根性の居ることだったんで。結局、国内物のお手軽な作品群…
…赤川次郎なんかに流れていきましたね。
M
うーん、赤川次郎ねえ。
楽
赤川次郎はものすごい量があるじゃないですか。そうなると当然、海外物へ流れいる隙などな
かったですよ。当時は読むのも遅かったですしね。また、国産の古典ものについては、知識を
与えられる機会さえありませんでしたね。
M
すると綾辻さんら新本格との出会いは、さらにその後ということ?
楽
そうですね。そこでようやく綾辻行人との出会いになります。「こういうのもあるんか!」と
いう衝撃でしたね。以来、周辺に名前のでる作家の本を読み漁り、高校時代は新本格を追うだ
けで精一杯でした。お金もないのに有栖川さんのハードカバーを買ったり、他の東京創元社さ
んの国内の本を買い集めたり。
M
それくらい読めば、もうそろそろ古典本格の存在に気付き始めたんじゃないですか?
楽
そうですね。その頃には海外物は面白いっていう文章は眼に触れる機会が多くなりますよね。
でも、とりあえず国内物を片づけようという僕には、海外物や古典を読む暇がなかったですね。
M
う〜む。こんなこといっても仕方ないんだけど、つくづく恵まれてるなあ。松本さんって、ひ
ょっとして本格に目覚めて以降、読むものに不自由したなんてことは一度もないんじゃないで
すか?
楽
そうですね。むしろ逆に、本が多すぎるというのは思います。昔は古典以外「読むものがなかっ
た」的な部分があったけど、今は読みにくいものをわざわざ読まなくてもたくさんあるんです
ね。
M
なるほどなあ。その点、ぼくにとっては、こと本格ミステリに関しては社会派全盛時代以降、
「読むものがない」状態がずいぶん長く続いた気がします。一時、例の横溝ブームや旧日本作
家の復刊ブーム、「幻影城」ブームなんかがあったけど、いずれも一時のことで。特に新しい
書き手という点ではほんとお寒い状態が長かった。海外も似たような状況ですから、もはや慢
性的な飢餓状態ですね。否応なく過去に遡り古典を漁り、結果としてマニアに成らざるをえな
い、という(笑)。
楽
ははあ、すると島田荘司さんの登場は革命的だったんじゃないですか?
M
そうですね。実際、「占星術」を読んだ時は心底驚きましたよ。当然、島田荘司という名前も
知らなかったけど、まさに「コレだ!」と(笑)。干天の慈雨というか……そういう意味では、
島田さんがぼくにとっての「新本格派」だったのかもしれない。
楽
じゃあ、島田信者になるのも当然だ(笑)。
M
おっしゃる通りで(笑)。ともあれ、こういう読書遍歴をたどってきたぼくの本格ミステリ観
のベースには、だからどうしても「古典」というのが避けて通れない基本中の基本として存在
するんですが……松本さんはこの「古典」についてはどう捉えてらっしゃいますか。
楽
そうですね。正直いっていま古典を読むと「古めかしいなあ」というのは、これはもう否めな
いんですね。たしかに面白いのもありますけど、これを日本の作家の筆で書いたらもっと面白
いはずだとどうしても思ってしまうんですよ。
M
なるほど、するともしかして松本さんらにとっては、「古典」はいわば「勉強するような気分」
で読むものなんですかね?教養として、仕方なく……そんな感じ?
楽
仕方なくというほどではないですが、「ふまえよう」という思いがある、すなわち勉強である
という気持ちは確かにありますね。
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sect 02
■
トリックについて語らない、ファンたち
M
だとしたら、確かに後回しになりますよね。古典なんて。う〜ん、でも、それでいいのかなあ。
そう!たとえばトリックについてはどうです?
楽
というと?どういうことですか?
M
たとえば……分かりやすいところで「密室」。いま現在、ミステリでストレートな密室をテー
マにするのは すごく難しいことですよね。
楽
そうですね、もはやパロディかサブテーマとしてしか使えないんじゃないですか?
M
でしょ?で、それはなぜかというと「密室」トリックが出尽したからですよね?つまり新本格の
作家さんにせよ、密室ものを書くとすれば過去の古典的名作の「密室もの」を踏まえて書くでし
ょう。……すなわち「古典」の先例が後に続く作品を規制してしまう。いうなれば、「古典」と
それが含むトリックというのは、単に古くさい「本格」ではなく、「新本格」を含む現在のミス
テリの重要な基盤をなすものなんではないか、と。だから、ある程度意識的に本格ミステリを読
もうとする以上、古典を踏まえずに読み進むのは、羅針盤のないまま船を進めるようなもの。…
…といったら、いいすぎでしょうか?
楽
いや、それはやはりマニア的な捉え方ですね。いまのファンの読み方とは根本的に違う。……つ
まり「ミステリの評価のされ方がそもそも違う」んです。僕自身は、烏滸がましい程度とはいえ、
まあ、ある程度古典を読んでいるのでそういう気持ちはないと思うんですが、知り合いを見てい
る限り、基本が「踏まえられている」という点に力点を置いてるようには見えませんねえ。だい
たい、トリックに重点をおいて作品を語ることなんて、ほとんどないんじゃないかなあ?
M
トリックについて語らない?どうでもいいということですか……。
楽
どうでもいいっていうのはさすがに言いすぎですが、まあ重要度は低いと思いますね。
M
ちょっと信じられないなあ。いや、まあ京極さんなんかの作品ならそうかもしれないけど、それ
は特殊な例でしょう。
楽
いえいえ、これは京極作品に限りませんね。たとえば、森博嗣という作家の読まれ方が顕著な例
だと思うんですが。事実、今をときめく森先生の書評をネット巡っていると、この人の作品をト
リック中心に語る人などないに等しいという印象を受けますね。つまり、もはやミステリはトリッ
クのために作られていながら、トリック抜きで読まれているんじゃないかってね……言い過ぎか
な?
M
う〜む。ちょっと聞き捨てならない(笑)という感じがしますね。では、松本さんご自身はトリッ
クというものをどうお考えなんですか。たとえばトリックのオリジナリティや独創性を云々しよ
うとすると、どうしても古典的名作を踏まえぬわけにはいかないと思うのですが。
楽
トリックは大好きですし、必要でしょう。でも、僕自身はトリック自体の独創性にはあまり拘り
ません。むしろそれが物語の中で「どう機能しているか」に興味があるんですね。たしかに古典
においては、トリックの独創性だけでも十分読者を引っ張ることが出来ましたよね。実際、昔の
作品では「なんで、そんなことすんねん!」「そんなことおこるかッ」「みたらわかるやろ!」
というトリックがいかに多いことか!(笑)……もちろんそれでも面白いわけですよ、僕もそう
いうの大好きです。ですが、そうした時代はもうとうに終わっていると思うんですよね。
M
そのことについてはぼくも異論はありませんが……じゃとりあえず、ちょっと話を戻させて下さ
い。先ほどのお話だと、今の若いファンは「トリック抜きで」本格を読むとおっしゃいましたよ
ね。
楽
ええ、そうですね。
M
つまり彼らが本格を読み、評価するうえで力点を置くのは、トリックではない、と。では、彼ら
が力点を置くのは何なんでしょう?謎解きのロジックの面白さ?あるいは謎そのものの魅力、と
か?……お話の流れでは、どうもそのどれでもないように思えるのですが。
楽
力点、という見方からいえばそのとおりです。それは彼らにとって面白さの一端を担っているか
もしれないけど、それがないとダメというわけではない。そこが一番の違いでしょう。
M
じゃあ、彼らのその「本格ミステリの評価の基準」とは、そもそもなんなんでしょうね。さらに
いえば、彼らはいったい何を求めて本格ミステリを手に取るのでしょう?
楽
と、おっしゃると?
M
ちょっと長くなりますが。謎、謎解きのロジック、トリックは、ぼくにとって「本格を本格たら
しめている」最低限の必須成分です。そして、この3つの成分を作品中でどれだけ重視しているか
重く扱っているかが、その作品の本格度の高さの指標となる。ところが、新本格を読みながらそれ
らを「どうでもいい」と思っている読者の方が、多数派であるとしたら、それは……脅威でさえあ
る。だってそうではありませんか?そういう方はなにも本格ミステリなぞ読む必要はないわけでし
ょう。彼らにとって、魅力を感じるポイントを備えていたのが、たまたま森作品だった。京極作品
だったということであり、極論すればそもそもそれが本格ミステリである必要さえないわけで。
楽
ミステリである必要がない、ですか。ちょっとキツい言われ方ですが、これはおそらくそうなんじ
ゃないかって思います……というとなんだか終末的ですが。きっとね、彼らも「どういうのが好き
ですか?」と聞かれれば、口では「本格が好きです」というと思うんですよ。でも僕の感触では、
彼らが好きなのは「本格」じゃなくて「新本格」なんじゃないかなあと。で、「古典も面白いです
ね」という時には、新本格を読む時に彼らが面白いと思った部分を、たまたまその古典が持ってい
たに過ぎないのではないか……とさえ思いますね。
M
それは、やはり本格ミステリが好きというのとは全然違いますね。本格ミステリというものが、
「わかってない」ということじゃないですか?
楽
マニアの人には、そう思われても仕方ないでしょうね。これはやはり本格という定義が拡散して、
似非「本格好き」が増えたのが大きいと思っています。MAQさんから見たら僕なんかも「似非本
格好き」になってしまうかも知れないですが(笑)。それから、すべてが等価値であるファンの
ひとも多いと思うんです。ロジック、トリック、キャラクタ……なんでも面白い。これはもはや
ミステリファンと呼ぶ必要はないでしょうが、「ミステリ」のレッテルが貼られて売られている
ジャンルを読んでいるのだからミステリファンと名乗る、という流れです。これはジャンルわけ
の弊害かも知れませんね。
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sect 03
■
古典のモノサシと現代のモノサシ
M
今、かなりショック受けてます(笑)。……しかし考えてみると、そういう読み手がいまや「多数
派」なんですよね。ということは、つまり「外のヒト」だったのはむしろぼくの方だ、と。ぼくの
知らないうちに世間では、トリックやロジックなぞ関係ないところで行う評価・楽しみ方がごく一
般的になっていた、と。
楽
僕の知る限りの若いファンを中心に考えると、そういうことになりますか。
M
うーん。まあ、読み方に正しいも悪いもないとは思いますが……。気になることがないでもない。
楽
というと?
M
つまりその若い人たちの読み方……というか、その妙な「ウケ方」が、作家側にフィードバックさ
れて、作り手であるところの作家たちの創作姿勢が、妙な方向に逸れつつあるのではないか、とい
う懸念があるんです。
楽
なるほど。ふむ、それはいえるかもしれません。おそらくMAQさんはその最有力サンプルとして、
森先生を念頭に置いていますよね?……僕も同感です。たとえば、本格のコアたる部分を捨ててし
まったあげくの「笑わない数学者」が、「ミステリィ」として評価されているのはすさまじいこと
だと思っています。僕はこの作品に対しては、はっきりいって猛反発しているんですよ。
M
そうですね。ご指摘の通りです。あれは……なんというか信じがたい。「若いファン」という存在
に対する不信感は、ここらあたりから生まれはじめたのかも。そしてそれに迎合しているかに見え
る作家さんに対しても、です。ちょっと大げさかもしれませんが、こういう行き方を許容しつづけ
ていたら本格は滅びるのではないか。とさえ思ってしまうわけで。
楽
というと?どういうことでしょうか。
M
つまりですね、作家が、「トリックに興味のない人たち」……さらにいえば「本格に興味のない人
たち」をメインの「読者」と考えてしまったら、早晩、コア本格を書くことはビジネスとして成立
しなくなり、作家にとってそれは趣味の領域の仕事になってしまうのではないか、ということです。
結果、いまや本格は滅びの道をたどっている、と。
楽
森さんの創作姿勢に関する部分はまあ置いておくとして、本格ミステリ全体の状況についてはちょ
っと悲観的に過ぎる見方じゃありませんか?本格ミステリは、いま急速に変化し拡散しているのだ
と思うんですよ。これはまあ、MAQさんが「滅亡」に対して感じているほど僕は感じていないって
いうのが大きいのかも知れませんが。古典自体が無くなるワケやないし、本格の形が変わっていく
のもおもろいやんか、って急に関西弁はいってますが(笑)。楽観的なんですよね。
M
そうかなあ。でもそれはとりもなおさず、昔ながらの古典的な本格が失われていく、ということな
のでは?
楽
そうした本格がまったくなくなってしまう、ということはないでしょう?マニアが絶滅するとは思
えませんし。実際には「本格をそのまま伝える」のは難しいでしょうが、まあ僕は「それでも良い
かな」で、MAQさんは「それはイヤだ」と。スタンスの違いですね。
M
これはおっしゃる通りです。少なくともぼくはイヤですね、絶対に。
楽
でもね、こういう事態を招いた責任の一方はマニアにもあると、僕は密かに思ってたりするんです
よ。
M
おっと!またしても聞き捨てなりませんね(笑)。どういうことです?
楽
結局のところ、古典的な本格を生き残らせていく道は、若いファンにも古典が面白いということを
伝え続けるしかないでしょう? で、その役を担うべきは古典の面白さを知っているマニアなので
はないか、と。
M
ふむ。たしかに。
楽
ところがマニアは一方的に古典を押し付けるだけで、若いファンの嗜好を知ろうともしない。……
結果として、若いファンに相手にもされない。つまりですね、古典でモノサシを作ったマニアが、
一方的に古典を押し付けてもムダなんですよ。若いファンのモノサシは全く違うのですから。
M
すると何か特別な勧め方が必要だ、ということでしょうか?
楽
そういうことになりますね。折衷案めきますが、まずあえて「古典に現代作家のモノサシを無理矢
理あてる」んです。古典にだって作者の意図とは無関係に「現代作家のモノサシで評価できる作品」
は絶対あります。若いファンに対してはまずこのような作品からすすめ、「古典のモノサシ」に慣
れてもらう必要があるのではないか、と思うんです。
M
なるほどなるほど。となると、まずマニア自身が頭を切り替えなければならないかもしれませんね。
楽
そうです。マニアは「自分が面白いと思う作品」を薦めるのではなく、いまどういう作品のどうい
う箇所が受けているのかを知り、それを踏まえて膨大な古典の中から適切なものを選び、薦める必
要があるわけです。それから「どうしてこの良さがわからんのだ!」ではなく、「これなら楽しめ
るぞ!読んでみなよ」という気持ちも要るでしょうね。
(パート2へ続く)
(talk in june-july 1998)
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