ZAPPING TALK BATTLE


 
第6回 本格ミステリの「いま」-2
sect 01


3つのジェネレーションギャップ
 
 なんだか、松本さんはマニアに対して、いろいろ思うところがあるようですね(笑)。
 そうみたいですね(笑)。極端なマニアの方を何人か見てきたから、偏見が大きいのかなあ…
  …。ともかく、マニアは了見が狭すぎるように思えてならないんですよね。たとえば、今まで
  のモノサシで測る前にまず他のモノサシを探す、という作業を、彼らはしようともしないんで
  はないか、と。それをした上で「これはだめだ」というならともかく……。
 うーん、耳が痛い(笑)。……しかし、ぼくらはいくらなんでもそこまで間口の狭い、頑迷固
  陋な本格原理主義者ではないつもりですよ。たしかに古典に縛られた「マニア」もいますが、
  そうした方というのは、ぼくらよりやや後の世代という印象ですね。ここいらは印象でしかな
  いので、不自由ないい方になりますが。
 そういわれればそうかも知れません。そう、たとえば読者を、旧マニア(32半ば〜それ以上、
  綾辻さん前後)、マニア(20代後半、麻耶さん前後)若いミステリファン(20代前半)と、
  かなり乱暴に分けてみると、確かに間口の狭いのは、旧マニアよりもその後のマニアあたりの
  ような気がしますね。
 うわ、ぼくは完璧なまでに旧マニアだ(笑)。やっぱりそういうことになりますかねー。でも、
  この分類(?)は面白いですね。じゃあ、そのしり馬に乗って、この分類をぼくなりに解釈し
  てみましょうか。
 面白いですね。聞かせてください。
 え〜っと。まず、旧マニア(32半ば以上)。つまり「ぼくら」は「読むものがない」時代から、
  本格を追いつづけてきた世代。実質上の入門は海外の古典物からですね。間口は広いつもりだけ
  ど、根っこのところには古典的本格がガッチリ根を張っている。故になんでも読むけど、根は非
  常に頑固なんです。
 たしかに頑固ですね(笑)。ちなみに綾辻さんら新本格第一期生もここに入りますね。
 次にマニア(20代後半〜30前後)ですが、これは新本格の登場と共に開眼したんですかね。だ
  から入門は新本格第一世代の諸作。そこから古典へ遡るという「純粋培養」的な過程を経て、本
  格原理主義者へ。こだわりのかたまりで、間口が狭く妥協を許さない、と。
 ここは少しだけ訂正させてください。この人たちの入門はあくまで古典とその周辺だと思います
  ね。ただし、いわゆる「古典」を突き詰める前に新本格が台頭してきた、と。だから途中から混
  在して読んでるんじゃないかと思います。また、過激なことをいえば、彼らは旧マニアが作った
  土壌の上にあぐらをかいているようにも見えないでもありません。……が、これもまたたんなる
  偏見かも知れないので、留保付きにしておきましょう。
 じゃあ、最後。若いミステリファン(20代前半まで)ですね。この人たちは新本格全盛期の入門。
  ひょっとして「金田一少年」あたりで開眼した場合もあるのかな?本格に限らず、ゲーム、コミッ
  ク等も含めた多様な選択肢の一つとしてこれを楽しむ。故に間口は異常なほど広いが、こだわりが
  まったくないという人たちですね。
 そうですね。おおむねそういうことになるかと思います。もちろん、これに当てはまらない例外
  的な方もたくさんいらっしゃいますけど。
 だいたい松本さんも、この分類ではどこにも入らないんじゃないですか?ちょっと特殊なスタン
  スでしょ。
 ……僕がちょっと違うのは、ミステリ研という場に一時いたため、マニアの読み方も理解できる
  からではないでしょうか。つまり、両方の評価の仕方を知っている。だから古めかしい本格は本
  格として楽しめるし、いまの本もそれはそれで楽しめるという。
 それって非常に有利なスタンスですよ。……若いファンたちが、みんな松本さんのような読み手
  だったら、もうなんの心配もいらない。本格の未来も安泰だ!となるんですけどね。
 ですから、今の読者ってのはマニアになれないんですよ。なろうと思えばどれだけでも本を読ま
  なくてはならない。しかし、選択肢が無数にある今の読者にとって、それは現実的ではないわけ
  です。
 古典ってそんなに読みにくいですかね。ほんの少しだけでも「先に進む」情熱があれば、十分楽
  しめる気がするんだけどな。……たしかに「古びてしまった」古典も多いけど、そうでないもの
  もいっぱいあるし。第一、古典としての時代背景の中でこそ生きるトリックやアイディアという
  のがあるのでは? たとえばカーの一連の密室トリックなど、現代を舞台にしたらほとんどギャグ
  かパロディにしかならないけど、カーはカーのやり方で真正面からこれを扱い、ドキドキするよ
  うな本格に仕上げている。つまり、そのトリックやアイディアを本格として一番有効に使えるの
  はその時代のその作家ではないか、と思うんです。したがって、多少モノサシに合わなくとも読
  む価値は十分あるはずだと思うのですが。
 それはおっしゃる通りだと思います。でも、ここでまた「評価の違い」が大きく作用します。繰
  り返しになりますが、「昔の作家の良さ」というのは「現代の作家の良さ」でモノサシを作り上
  げた人間にとっては「あまり意味をなさない」んですよ。
 なるほどね。しかし、そういう姿勢って、なんかこう裏返しの閉鎖性みたいなものを感じるんで
  すけどね。……これはあくまで外から見た印象でしかないのですが……現在の若いファンはぼく
  らのいうことなんか聞かないのではないか。異論は無視し、むらはちにする。そういう対応が彼
  らの「やり方」なのではないか。ある意味、旧マニア以上に閉鎖的なものを感じることがあるん
  ですけど。
 それは偏見ですよ。彼らはそこまで閉鎖的じゃありません。森先生のファンの人ともたくさん会っ
  て親しいので、これだけは弁護してあげたいですね。事実、僕の地道な布教によっていろいろ読
  んでくれる人も多いんですよ。ただ、そこから古典・名作をたどっていくほど熱心にはなりきれ
  ないだけなんです。
 そうですか……だとしたら、ぼくの認識不足ですね。ごめんなさい。しかしなあ、シツコイよう
  ですが、古典をいっぺんでも読み始めれば本格がどういうものかなんてすぐわかるし、好きになっ
  てくれるような気がするんですけどね。
 僕もそうですが、古典を読もうと思っている人は多いし、実際に読んでいる人もたくさんいます。
  で、彼らに感想を聞くと「おもろかったよ」といいますよ。でもね。そこから「もっと読みたい!」
  とはならないんですよ。これは古典が「それなりに面白い現代ミステリ」と同じ価値しか持ってい
  ない、ということで。そもそも彼らにとっては「評価する」ということ自体、あまりないんではな
  いか、と。
 
 
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sect 02


ノスタルジアの価値
 
 う〜ん。ごめんなさい!やっぱりその辺になると、ぼくの理解を超えていますね。醒めてるとい
  うか。それで本格が好きといえるのかな?
 情熱の欠落、というのはあるのかも知れませんね。「有栖の乱読」なんかを見ると「貪るように
  読む」という表現がありますが、今のファンはミステリ「も」読む、というレベルです。たとえ
  古典が面白いなあと思っても、それが「次から次へ読む」ほど面白いか、と聞かれたら「うーん」
  となるでしょうね。もちろんこれに、前述の「本が多すぎる」というポイントも加わりますし。
 なるほどな……いわれてみればそういうところ、ありますよね。全般的な「体温の低さ」という
  か、なんでも気まぐれにつまみ食いして「充足」しているというか。いいわるいではなく、それ
  が現実なのでしょうね。
 それから、古典を読んだところで誰とも話が合わない、というのもありますね。同じミステリで
  も新しいものなら語れる相手がいるのに、わざわざ古いものを読もうとは思わないわけで。思っ
  たのですが、MAQさんの世代は語れる相手が少なかったことが、逆に良かったのではないですか?
  今はファンが増えて、たいして読んでなくても話は通じますからね。
 ……聞けば聞くほど、そういう若いファンに古典を勧めるのは至難の業、という気がしてきます
  ね。頑固で申し訳ないのですが、本当に新本格が好きになったなら「古典」も自発的に読むのが、
  やはり自然な流れに思えて仕方ありません。だから、もしそうでないなら、その人は本当の意味
  で本格というジャンルを、好きなわけではないのではないか。つまり勧めるだけムダなのでは。
  という、味も素っ気もない結論を出したくなってしまう。
 そうですねえ……。ちょっと話がズレますが、しかもこれまた偏見かも知れませんが、旧マニア
  といわれる人は、古典の「本格」に甘すぎるのではありませんか?「当時面白かった」というノ
  スタルジックな付加価値を込めすぎているのでは?
 う、なんか痛いトコロを突かれた気がする(笑)。
 狙ってますから(笑)。ともかく、その結果としてオールタイムベストには「かつて貪り読んだ
  時期にであったもの」が並び、前述の「すべてが等価値」で「どれを読んでもおもろい」と思う
  若い読者は、そんなものかと思いつつ、「まあ、識者が言うんだからそうなんだろう」となって、
  結局、中身のない面白さの「抜け殻」みたいなものだけが継承されて行くんじゃないかって。
 うーん。これは痛いです。かなり効きました。……実のところ、松本さんがいわれる「疑念」は、
  ぼくもうっすら感じていたのですよ。しかし、正直自分に頼りにできるのは、過去読んだ膨大な
  名作の蓄積しかないという気分がありまして。これを否定(?)するのは、なかなかにツライこ
  とだったりするんです。でも、これはやはり公平な態度とはいえませんね。
 ですから、モノサシを作り直す作業は、やはりどうしても必要なんですよ。とはいえ、ね。MAQ
  さんも私も本格をそのまま伝えていくことに、少々疲れているのかもしれませんね。……僕自身
  は、その結果として本格というジャンルが変質していったとしても、それはそれでいいかなとい
  う気分なんですが。
 ふむ。「それでいいかな」ですか。先ほど触れた時は聞き流しちゃいましたけど、どうも本格ミ
  ステリというジャンルの認識について、ぼくと松本さんではずいぶん隔たりがあるんじゃないか
  な。
 うん、なんとなく議論がスレ違ってるような気がします。
 ちょっと整理してみましょうか。なにもぼくは、古典本格のスタイルをそのまま残し「それだけ」
  を本格として固く守り続けるべきだなどと思っているわけではないんですよ。……そもそもそんな
  考えは現実的ではありませんしね。けれど多種多様な本格亜種が生まれることは良いとしても、そ
  れはあくまでの「広がり」の「中心」となるべきコア本格があってこその話だと思うんですよ。
 コア本格というのはなんでしょう。古典的な本格ということでしょうか。
 これを単純に「古典的」というのは抵抗がありますね。ぼくにとってはむしろ「普遍的」なものな
  んですが。ともかく、謎があり、ロジックがあり、トリックがある。これが「コア本格」で、これ
  こそが広がりつつある本格ミステリ領域のつねに「中心」でなければならない。ぼくはそう考えま
  す。
 なるほどね。しかしなぜ、そういう本格が中心になきゃならないんですか?
 本格というジャンルの裾野が広がること自体は、別に悪いことだとは思いません。ただ、そもそも
  コア本格という万全の基盤があるからこそ、そしてそのルール・原則みたいなものが厳然として中
  心にあるからこそ、それを打ち破る新しい試みも生き生きと花開くものなのではないかと思うんで
  す。だから、仮にこれが失われてしまったら、それはもはや「本格ミステリ領域」ではない、別の
  「なにものか」だというべきでしょう。実際、そうなったらおそらく、本格はとめどなく拡散し行
  き詰まり、内側から自壊していくように思えてなりません。
 これでよくわかりました。この話のすれ違いの原因は「本格の定義」という、またもや基本的であ
  り、かつきわめて難しい問題があるんですよ。……僕がMAQさんがいうほど本格が死んでいると思
  えないのも、ここに理由があるのではないかな。僕自身の本格観は、これはどうしようもなく現代
  作家の「本格観」から抽出したものですからね。
 むむ。本格の定義論ですか。……ついにブチあたってしまった、という感じですね。
 もう引き返せませんよ〜(笑)。行きます!「本格」とはなんなんでしょう?
 
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sect 03


本格ミステリとは何か?
 
 うう。この問いだけは聞きたくなかった〜(笑)。しかしぼくの「本格の定義」は、ごくオーソドッ
  クスなものであるつもりなのですが……。長くなりますけど、本当にお聞きになりたいですか(笑)?
 どうぞ!ご遠慮なく(笑)。
 つきつめていうと、1.「犯罪もしくはそれに類する事件にまつわる謎を、論理的に解明していくこと
  を主眼とする小説」ですね。で、その必須構成要素としては2.「魅力的な謎」「必要十分な手がかり」
  「明快かつ論理的な謎解き」の3点。また、さらに含まれることが望ましい要素としては、3.「なん
  らかのトリック」「なんらかのどんでん返し」「論理のアクロバット」「名探偵」ということになりま
  すね。
 なるほど、なるほど。それを聞くと、僕の方は定義がかなりイイカゲンだなあって思いますね。ふむ、
  ホント厳密ですねえ。
 そうですか?オーソドックスな定義のつもりなんですけど。まあ、これでとりあえず1でありさえす
  れば、本格「領域」と判断します。さらに1、2、3を高い水準で満たしてくれたものが、コア本格。
  そこまでいかなくても1、2まで満たしていれば、じゅうぶん納得できる本格というところでしょう
  か。逆にいくら3があっても、2を満たしていなければ、ましてそれが「謎を論理的に解明すること
  が主眼」でなければ、それは本格ではない何か別のエンタテイメントというべきでしょう。……では、
  今度は松本さんの番(笑)。
 はいはい(笑)。えっと、簡潔に言いますね。「解決に当たる部分が、それまでの展開から、予想さ
  れてもおかしくないと思わせるもの」、これです。もう少しわかりやすくいうと、ラストで「あ、よ
  く読んで考えたら、結末が想像できてもおかしくないやん」といえるものですね。つまり、あくまで
  も「想像」できたらというレベルなんで、許容範囲はかなり広いんですよ。……逆にMAQさんの定義
  を当てはめていったら、最近のミステリ界で本格といえる作品なんてほとんど無くなっちゃうんじゃ
  ないですか?
 まあ実際にはここでいう「論理的」というのも、実はそれほど厳密ではなくて。純粋に論理的という
  より、ともかく「論理的と思わせてくれる」仮想論理とでもいうべきものでありまして。作品世界の
  中でリアリティがあれば、現実には穴がある論理であってもそれほど気にはなりません。そもそもぼ
  くの愛するチェスタトンの諸作など、厳密にいえば論理的とはとてもいえませんからね。
 そうですよね。これには僕も賛成です。というか、僕はむしろ論理の正当性よりも展開の方を重視
  しているつもりです。西澤氏の作品が現代本格の担い手であると思うのもそこなんですね。あの人の
  論理は非常に現実味に欠けるけど、それが逆に面白い。これにこれを積み重ねるのか、という驚きが
  あるでしょう。そこに一番の「本格らしさ」を感じるんですね。
 ふむふむ。仮想論理の面白さが第一というか、それさえあればOKという。
 いうなれば「机上の空論の突拍子の無さ」です。読んで納得させられておきながら、あとで「え? 
  ほんまに今の納得してええんか」って振り返ってしまうような(笑)。限られた枠内でとんでもない
  妄想を積み重ねてくれる作品はもう、大好きです。
 すると、本格であるか否かの判断はどう下すのですか?
 解決や論理の展開が、つくられた作品内の世界観に照らし合わせて、さっき述べた「予想できてもお
  かしくない」ものであれば「本格」の要素を備えていると判断します。とはいえ、読む際にはあまり
  厳密には考えていませんけどね。
 たしかに許容範囲が広いですね〜。ほぼなんでもアリアリという気が、しないでもないけど。もちろ
  ん、それが本格ミステリという文学ジャンルの最大の中核であることには、ぼくも異論ないわけです
  が。……松本さんは、だから本格の核心だけを見つめることで世界を広げ、ぼくはそこにいろいろ条
  件を付け加えることで、世界を狭めている。そういうことになるのでしょうね。
 まあ単にイイカゲンなだけかも知れない(笑)。ともかく、こういう……僕の考える「コア本格」が
  それなりに感じられる今の状況には、まだそれほど絶望的には思っていません。
 うん、そういうことになるでしょうね。これはスタンスの違いがベースにあるので、結論は出ないで
  しょう。
 でもね、危機感はないこともないんですよ。それはMAQさんの指摘された「なれあい」の構図に対し
  てです。「本格」云々は別としても、作家とファンのこの「なれ合いの構図」は気に障りますね。
 「無自覚な」若いファンの気まぐれなファン意識と、その危なっかしいミコシにかつがれた「無節操
  な」新本格(ことに第二世代〜)作家の理念を欠いた執筆姿勢と、とりあえず「新本格」と付ければ
  一定量売れてしまう現状に馬乗りした「安直な」出版社・編集者と。これはファンと作家と出版の「
  甘えあい」トライアングルのようなものですよね。結果的に作家に対する無自覚な「讃め殺し」にな
  りかねない、というか。
 これに対してはまったく同感です。できるものなら、なんとかしたい。
 結局のところ、あとは作家さんたちがどれだけ信念をもって「本格」を書いてくれるかにかかってい
  るのでしょうかね。……ちなみに、松本さんが本格として期待している現代作家ってどんな方ですか?
 先ほども述べましたが、私は西澤さんの作品に一番そういうのを感じますね。SFものとかやってる
  けど、ロジックというものをよく考えている作家さんだと思ってます。それから本格に関する出版社
  でいえば東京創元社の頑張りに期待していますよ。鮎哲賞はここんとこいまいちだったからなあ。逆
  に頑張って欲しいなあ。
 じゃあ、取りあえず西澤さんと東京創元社に頑張ってもらって。あとは松本さんのような読み手に、
  地道に若いファンを啓蒙していただくことを期待しましょう(笑)。
 いやいや。旧マニアにも頑張って古典を伝道しつづけてもらわないと(笑)。
 それはまあ、まずモノサシをリニューアルしてからですが(笑)。
 
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(talk in june-july 1998)
 
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