雁ヶ腹摺山

 雁ヶ腹摺山 1,874m
 山域:大菩薩

記録
 山行日1999年10月10日(日)
 ルート大峠→雁ヶ腹摺山→金山峠→金山鉱泉→遅能戸
 コースタイム0815 大峠 → 0905/30 雁ヶ腹摺山 → 1005/10 雨量観測所 → 1115 百軒干場 → 1120/40 金山峠 → 1255/1300 金山鉱泉 → 13:40 遅能戸
 天候快晴

小金沢連嶺より続く

雁ヶ腹摺山は五百円札の裏の富士山の撮影地として有名な山である。大峠から往復すれば簡単な山であるが、昔からの金山鉱泉の道が気になり、さりとてロングコースなので行く機会が無いままであった。しかし、今回小金沢連嶺を考えた時、繋いで歩けば下りではあるが金山鉱泉への道を歩くこともでき、また容易に山頂にも立てることに思い至ったので、展望を楽しみに計画した。

賑わっている大峠から雁ヶ腹摺山への道に入るとすぐに水場がある。ふんだんに流れ、かつ水を汲みやすく、再びポリタンを満たす。日も変わり、山も変わって心機一転、ゆったりとしたペースで急がずあわてず登ることにする。斜面を巻き気味にゆっくり高度を上げていき、自然林の美しい森の、よく踏まれたいい道である。穏やかな道を30分も登ると、樹下から出て明るくなる。道はにわかに斜度を増して、潅木の多くなった尾根を登っていき、展望も開けてきて、富士山が背後に時折大きく見える。黒岳から白谷丸への稜線もすぐ隣に見えている。まだかまだかと登ると上から声が聞こえ、いよいよ山頂かと思ったが、カメラマンが数人富士を狙っている岩場だった。下の景色が広がって、頂上より眺めがいいと言っている。さらに登ると、一面のカヤトの原があり、緩やかな斜面を登れば金山峠への分岐があった。そしてその上の樹林の繁っているのが頂上だった。

雁ヶ腹摺山というと、五百円札の逸話から大展望の頂上だという先入観があったが、実は富士山だけが展望できる頂上だった。五百円札のデザインの楽しい山名案内板を見ながら、ゆっくり富士山を楽しむ。この写真が撮られた昭和17年というのは、どんな道だったのだろうか。今日は雲海に浮かぶ富士で、雲の上に僅かに出ているのは三ツ峠と滝子山だ。空の薄いすじ雲も綺麗だった。

下山は金山鉱泉を目指す。直下の姥子山への標識に従い草原を過ぎると、すぐにしっかりした樹林の道が続く。白樺平と言われる姥子山の分岐は見過ごしてしまったが、雨量観測所の横で休憩し、少し下ると林道に出た。そこから百軒干場までは薮がかぶり気味の道になり、また傾斜も急である。植林の混じるようになった道をどんどん下る。途中対岸の吹切尾根がよく見渡せる場所があり、奥に雁ヶ腹摺山の山頂を見ることができた。道が右に折れて植林地に入り、滑りやすい尾根の斜面を下るようになると、やがて林道が見えて奈良子川の流れる車道に降り立った。
金山峠への登り口は車道をかなり下った所にあった。以前は奈良子川に降りるときに、尾根を直進してくるところを、崩壊の為かなり手前に降りるようにつけ変わったようだ。立派な橋で川の対岸に渡ると、今日最後の登りの金山峠越えである。道は広くていかにも峠道の雰囲気があり、距離は僅かで、ゆったり行くとすぐに峠に着いた。この峠もなかなか雰囲気がよく、ここで今日最後の大休止とした。峠からは姥子山が良く見える。日向で休むとポカポカとしていい気分だった。
金山峠から谷に降りて鉱泉に下る道は通行止めになっており、大岱山の方に迂回していく。道はピークを巻きながら、大岱山の手前まで行き、それから金山鉱泉の上まで尾根を南下するようになっている。整備された尾根をどんどん下り、尾根と別れてからは、植林帯のジグザグの下降が続く。果てしなく続くと思われるような道も、やがて眼下に道が見えると、急な下りとなって金山鉱泉の山口館の少し上に出た。
金山沢に沿った車道を、沢音と渓谷を楽しみつつ遅能戸に向かう。金山金山跡へと向かう金山橋は朽ちて通行止となっていた。道も広くなると、向こうから荷物を持った地元の人が帰ってくるところでバスが着いたのかなと思う。バス停で時刻表を見ると、ちょうど1日3本しか無いバスの発車時刻であった。荷物を地面に下ろすとすぐバスが折り返してきた。



参考図書・地図
アルペンガイド奥多摩・奥秩父・大菩薩(1992年8月第1刷)
ブルーガイド 東京付近の山(1998年第1刷)
エアリアマップ 大菩薩連嶺(1994年版)
25000図 七保 大月
50000図 丹波 都留

雁ヶ腹摺山からの富士
その他のコース
・上和田〜楢ノ木尾根〜雁ヶ腹摺山
・奈良子方面〜姥子山〜雁ヶ腹摺山
交通機関
金山鉱泉へは、大月駅より西奥山行き「遅能戸」下車。
時刻は、富士急山梨バスにて確認下さい。


Nifty FYAMA 投稿文

雁腹摺山から金山峠 (150回記念の3)

4.雁腹摺山

賑わっている大峠から雁腹摺山への道に入ると、すぐに水場がある。ふんだんに流れ、かつ水を汲みやすく、再びポリタンを満たす。今日は日も変わり、山も変わって心機一転、ゆったりとしたペースで急がずあわてず登ることにする。道は斜面を巻き気味にゆっくり高度を上げていき、自然林の美しい森で、急坂ではなく、よく踏まれたいい道である。途中吹切峰への立派な道標があったがいい道があるのだろうか?
穏やかな道をゆっくり登って30分を越えると、やがて樹下の道からから出て、山頂が近づいてきた雰囲気である。しかしそんなにすぐに着くはずはないと思うと、やはりまだまだ長かった。道はにわかに斜度を増して、潅木の多くなった尾根を登っていくようになる。展望も開けてきて、富士山が背後に時折大きく見える。黒岳から白谷丸への稜線もすぐ隣に見えている。まだかまだかと登ると、上から声が聞こえるので、いよいよ山頂かと思うと、カメラマンが数人富士を狙っている岩場に出た。こちらの方が、下の景色が広がって、頂上より眺めがいいと言っている。さらに登ると、一面のカヤトの原があり、緩やかな斜面を登れば金山峠への分岐があった。あれ?頂上はどこかな?と思うと、その上の樹林の繁っているのが頂上だった。どうも雁腹摺山というと、500円札のイメージから大展望の頂上だという先入観があったが、実は富士山だけが展望できる頂上だった。連嶺の展望を期待したが、こればかりは残念だった。カメラマンは下にいるので、一人だけの山頂だったが、やがてたくさんの人が登ってきた。これから姥子山の往復を考えているらしい。あそこは、大峠より標高が低いのだが、まあ大峠から雁腹摺山の往復だけだと、物足りなく、時間を持て余すのかもしれない。
雁腹摺山の山頂で、五百円札のデザインの山名案内板を見ながら、ゆっくり富士山の頂上を楽しむ。この写真が撮られた昭和17年というのは、金山鉱泉から登っていたのだろうか。今日は雲海に浮かぶ富士で、雲の上に出ているのは三ツ峠と滝子山だった。空の薄いすじ雲が綺麗。
さて、人の増えた山頂を後にして下山にかかる。直下の姥子山への標識に従い草原を進んでいく。最初だけ怪しげな踏み後という風情だったが、すぐにしっかりした樹林の道になった。大峠からの道程ではないが、踏まれた道を、時折見かける花も楽しみつつ下る。白樺平と言われる姥子山の分岐は見過ごしてしまったが、雨量観測所の横で休憩し、少し下ると林道に出る。車が1台、ここまで入れるのだろうか。
次は百軒干場を目指す。今までとは違って薮がかぶり気味の道になり、また傾斜も急である。多少荒れ気味で歩きにくい。それでも、今日はこの道で6〜7人すれ違ったが、相対的にはかなり登る人が少ないのであろう。植林の混じるようになった道をどんどん下る。途中対岸の吹切尾根がよく見渡せる場所があり、奥に雁腹摺山の山頂の見える場所があった。かなり下ると、道は右に折れて尾根の斜面を下るようになる。ここは植林地の中で、土の1枚板の様な下りがあり、滑りやすく雨の時は大変だと思う。やがて林道が見えて奈良子川の流れる車道に降り立った。
今度は金山峠への登りであるが、どうも登り口がよく解らない。結局は持っていた地図が古かったということであるが、金山峠への登り口は車道をかなり下った所にあった。地図では沢を横切ってそのまま登るようになっていた為に、降りた地点にあった対岸に渡る木の板に迷ってしまった。これはすぐに先にすすめなくなったので、すぐに戻ったが、元々は奈良子川に降りるときに、尾根を直進して降りて、川を渡るところを、崩壊の為途中から尾根の斜面を下るように変わり、ずいぶん手前に降りるようになったためである。立派な橋で川の対岸に渡り、次は今日最後の登りの金山峠越えである。
峠越えの道は広くていかにも峠道の雰囲気があった。距離は僅かで、ゆったり行くとすぐに、あれもう?という感じで峠に着いた。この峠自体もいかにもという感じでなかなか雰囲気がよく、ここで今日最後の大休止とした。峠からは姥子山が良く見える。東峰の方は岩峰である。日向で休むとポカポカとしていい気分だった。
金山峠から真っ直ぐ谷に降りて鉱泉に下る道は通行止めになっており、大岱山の方に迂回していく。途中これから雁腹摺山を目指す数人の方とすれ違う。下山中に日が暮れるとは思うが、たぶんそれなりの準備はあるのだろう。道はピークを巻きながら、大岱山の手前まで行き、それから金山鉱泉の上まで尾根を南下するようになっている。大岱山と別れるとき、セイメイバンという立派な標識を見たが、道が整備されたのだろうか。訪ねてみたいものである。
下山は整備された尾根をどんどん下り、尾根と別れてからは、植林帯のジグザグの下降が続く。果てしなく続くと思われるような道も、やがて眼下に道が見えると、かなりの急な下りとなる。登りはじめでいきなり現れるこの急登は、結構応えるに違いないと思われるよう部分である。これを下ると金山鉱泉の山口館の少し上にでて、山道を終えた。
金山鉱泉から、金山沢に沿った車道を遅能戸に下る。沢音と渓谷を眺めつつ、下っていくと、金山温泉の上に朽ちて通行止めの橋がある。金山橋である。ここから金山金山跡に登れるはずであるが、いまでは上流の車道から迂回するしかないらしい。道も広くなると、向こうから地元の荷物を持った人が帰ってくるのでバスが着いたのかな?と思う。とりあえずバス停で時刻表を見ると、1日3本しか無いバスの発車時刻そのものであった。荷物を地面に下ろすとすぐバスが来て、1日3本のバスに1分待ちで乗れるというラッキーで2日間の山行を終えた。

長い報告に目を通していただき、ありがとうございました。この後ももったいないくらいの晴れた天気でしたが、接続も順調で、4時半には家に帰り着きました。
大菩薩周辺は最も好きなエリアの一つですが、長いコースをじっくり歩くことができました。今回は上着を持たず、冬用の下着だけ持って行きましたが、すぐに着脱できるものでもなく、ちょっと心許ない気もしました。初日は意に反して生憎の天候で少し残念でしたが、自然の恵みは素晴らしいものがありました。
まだまだ丹波からの道や、北からの大菩薩嶺や、長峰や楢の木尾根など、興味がつきません。また度々訪れてみたいと思います。まだまだ楽しめます。