第2回 壮大な迷宮にも似たロジックの殿堂「樽」

 
およそ本格ミステリの愛好者を任ずる方で、
この「樽」という名作の存在を知らない人はおそらくいらっしゃらないでしょう。
実際、乱歩やヴァン・ダイン選出のそれなどをあげるまでもなく、
翻訳モノのクラシックな本格ミステリのベスト10選出で、この作品が落選するような不埒な事態はまずありえません。
好き嫌いは別として、本格ミステリの歴史を語るうえで絶対に避けて通れぬ名作中の名作。
それがクロフツの「樽」という作品です。
 
ところがこの「樽」。ことほど左様に確固たる評価を持ちながら、
若い読者、それもかなり本格を読み込んでらっしゃる方からも、なぜか「後回し」にされていることが多い。
「敬して遠ざける」とでも申しましょうか。その価値は十二分に認めつつも、積極的に読みたいとは、どうも思って貰えない。
どうやらそんな不幸な作品であるらしい。
そのいちばんの原因は作者、フリーマン・W・クロフツの作風にあります。
曰く「難攻不落のアリバイを、警察官が地道な「足」の捜査の積み重ねで解明していく作品」。
曰く「地味で、写実的」。
曰く「詳細緻密でゆったりした展開は、時に冗長で、退屈に流れる」。
 
たしかにクロフツ作品といえば「アリバイ崩し」。
ここにはクイーンのようなスマートなロジックも、カーの派手なけれんやどんでん返しもありません。
一見凡人にしか見えない名探偵・フレンチ警部が幾度となく行き詰まりながら、1歩1歩謎を解き明かしていく、
試行錯誤の過程そのものの描写が小説の大半を占めています。
その捜査・分析・仮説・検証の、愚直なほど詳細な繰り返しぶりは、かのコリン・デクスターのモース警部のそれを凌ぎますが、
それでいてモースの展開するロジックほどの華麗さ・突拍子なさはありません。
つまりは、どこどこまでも地に足のついた謎解き/ロジックの積み重ねがクロフツという作家の身上なのです。
このことが、何事も軽く・スピーディであることを重んじる現代の読者に受け入れられないのは、
けだし当然というべきなのかもしれません。
しかし皆さん。この重厚稠密な謎解きロジックの世界というのは、
いったんその高い敷居を越えてそこにどっぷり身を浸してしまうことができたならば、
読者にある種麻薬にも似た快感をもたらしてくれるということをご存知でしょうか?
 
たとえていえば、それは、非常に優秀な教授による内容の濃い、きわめて難解な講義を聞くのに似ています。
最初は話の内容を理解することだけで精いっぱい。流れを追うことさえ覚束ないかも知れません。
しかし挫けず意識を集中して食らいついていけば、やがて無理なく講義の流れを追うことができるようになります。
そうなればしめたもの。
お気軽に聞き流せる講義とは段違いに豊かな、そしておそろしくスリリングな、
知的興奮にあふれた「一大世界」を満喫することができるはずです。
 
さて。前置きがずいぶん長くなりました。「樽」そのものの内容を紹介しましょう。
物語は、ロンドン・セントカザリンの波止場で、船から荷揚げ中の樽がロープが切れて落下し、
その裂け目から女の白い指先がのぞくというショッキングな場面から始まります。
当然大騒ぎとなりますが、奇怪な樽はしかしふいと警察の鼻先から姿を消してしまいます。
スコットランドヤードのバーンリイ警部は、この謎めいた樽の行方を緻密な推理によって解き明かし、
樽は再び警察の手に戻り、その中身も明らかになります。
ここで第一部が終わり、樽の発送元であるパリへと舞台は移ります。
このあたりから事件は錯綜をきわめ、犯人の底知れない奸智が捜査側を翻弄し始めるわけで。
なにより1つと信じられていた樽が2つとなり、やがて3つめの存在さえ匂わせて、
しかもそれぞれの不可解きわまりない動きに読者は否応なく論理の迷宮に引きずり込まれていきます……。
 
この第二部の終わりで容疑者は2人にまで絞り込まれ、
バーンリイ警部をはじめとする3人の探偵役による議論の末、ついに犯人と擬せられた人物が逮捕されるのですが、
驚くべきことに事件はまだまだ終わりません。
やがて第三部に至り総勢6人に及ぶ探偵役が次々とバトンタッチしながら、鉄壁と思われたアリバイが打ち破られ、
最後の最後に「樽」の真相が解き明かされたとき……
読者は作者クロフツが築き上げた壮大な「謎と論理」の世界に息を呑み、脱帽せずにはいられないでしょう。
 
複雑巧緻をきわめたプロットワーク、謎解きの詳細緻密さ。
まさに本格黄金期にあって一頭地を抜いた、巨大かつ壮麗なロジックの殿堂がここにあります。
むろんそれだけに、この作品を読み解いていくには生半可でない集中力が求められます。
時間つぶしや何かの片手間で読みとばすことはできませんし、やったとしても意味がありません。
つまり、この作品を理解し楽しむには、少なくとも最初の敷居を越えるためのある程度「努力」が必要なのです。
たかがエンタテイメントを楽しむのに、そこまで努力する価値があるのでしょうか?
「ある」と、ぼくは思います。
 
作品全体を、謎解きというものがもつ興趣一点に絞り込み、これを極限まで追及した史上もっともピュアな謎解きミステリ。
それが「樽」なのです。
いったんリズムをつかんでロジックの流れを捉え、これにどっぷり身を浸すことが出来たなら……
「樽」は脳髄が熱く燃え上がるような、他に類例のないスリルとサスペンスに満ちた知的興奮の一時を約束してくれます。
そして、もしこの高密度な「謎解き」を存分に愉しむことができたなら、
あなたの「本格指向」もいまや病膏肓に入ったといえるでしょう。
いうなれば「樽」は、あなたの「本格指向」を測る試金石でもあるのです。
 

 
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