奥秩父主脈縦走

 金峰山 2599m 朝日岳 2579m 国師岳 2591.9m
 東梓 2271.8m 両門の頭 2263m 富士見 2373m
 ミズシ 2396m 甲武信岳 2475m 西破風山 2317.8m
 東破風山 2280m 雁坂嶺 2289.4m 水晶山 2158m
 燕山 2004m 雲取山 2017.1m
 山域:奥秩父

記録
 山行日1998年9月23日(水)〜9月26日(土)
 ルート瑞牆山荘→大日小屋→金峰山小屋(泊)→金峰山→大弛峠→国師岳→甲武信岳→甲武信小屋(泊)→破風山→雁坂峠→雁峠→水干→将監峠→将監小屋(泊)→大ダル→飛竜権現→北天のタル→三条ダルミ→雲取山→鴨沢
 コースタイム 1日目 瑞牆山荘より金峰山小屋
1240 瑞牆山荘→ 1320/1335 富士見平→ 1425/1435 大日小屋→ 1730 金峰山小屋
2日目 金峰山小屋から甲武信小屋へ
0650 金峰山小屋 → 0720/0735 金峰山 → 0845 朝日岳 → 0920 朝日峠 → 0950/1020 大弛峠 → 1110/1117 国師岳 → 1340/1410 東梓 → 1530/1540 富士見 → 1715/1720 甲武信岳 → 1740 甲武信小屋
3日目 甲武信小屋から将監小屋
0640 甲武信小屋 → 0735/0740 笹平 → 0823/0830 西破風山 → 0855 東破風山 → 0945/1000 雁坂嶺 → 1025 雁坂峠 → 1100/1110 水晶山 → 1213/1225 燕山 →1245 雁峠 → 1320 水干 → 1655 山の神土 → 1707 将監峠 → 1715 将監小屋
4日目 将監小屋から雲取山を経て下山
0650 将監小屋 → 0900 大ダル → 0945/1000 飛竜権現 → 1035 北天のタル → 1240/1255 三条ダルミ → 1330/1420 雲取山→1725 鴨沢
 天候23日 曇のち雨 24日 雨時々曇 25日 曇時々雨 26日 雨のち雷雨

この山行は、出発前日まで行き先が決まらなかった。せっかくとった休暇を山で過ごしたいということで友人と計画したが、西日本を通過した台風や、見通しの暗い天気予報のため計画が二転三転し、最終的に雨でも影響を受けにくく、樹林帯の通過が多い、奥秩父の縦走となった。早朝西の方からくる友人から、名古屋から中央本線に乗るという電話が入り、韮崎駅で待ち合わせを約束して出発した。

ほぼ同じ時刻に韮崎駅に着き、タクシーで瑞牆山荘に向かった。平日で閑散とした瑞牆山荘の前で準備を整え、まずは今日の目的である大日小屋を目指して山道に入る。蒸し暑いが、まだ雨はまだ落ちてこず、ゆったりした登りを行く。車道を横切ると少しの間急な登りになり、再びなだらかな道を行けば富士見平である。まだまだ歩き始めたばかりで、重い荷物が不安だが、まずまずの出だしである。さらに幕営するつもりだった大日小屋に着くと、ついに雨がパラパラと降り始めた。
]この時点ではまだ余裕があり、行程を稼ぎたいことや、雨になり幕営も大変なので、さらに金峰山小屋を目指すことにする。大日小屋を発ってから大日岩への道はちょっとした急登となり、このあたりで急速に疲れが出てきはじめた。今回は普段は重くても12〜3kgしか背負わない私が、20kgで4〜5日という未体験ゾーンで登っており、また2ヶ月ぶりの山ということもあって精神的な不安感もあり疲れてきたのだろう。八丁平の分岐以降、休み休み登ってやっと、森林限界に出る。ここからは瑞牆山や小川山が見えたがそれもつかの間で雲がすべてを隠してしまった。もっとも山を眺めている余裕などなかったというのが正直な所である。岩稜をゆっくり登って行き、金峰山小屋の分岐まできたところで巻き道に入りやっと小屋に到着。先が思いやられつつ一日の行程を終えた。
金峰山小屋は先代の小屋番が亡くなって、その娘さんが一人で切り盛りしていた。設備もしっかりしており、感じのいい小屋だった。客は我々含めて4人で、1人は瑞牆山荘から往復の人、1人は雲取山に向かう単独の人であった。その夜天候は悪化しかなりの風雨となった。

翌日になっても風雨は止まず、体調不良もあったが、とりあえず行けるところまでと出発する。できれば甲武信小屋、最悪大弛峠という計画である。小屋から金峰山までは一直線の登りで雨の中じっくりと登る。途中五丈岩への分岐があったがひたすら直進する。右手に五丈岩が霧の中でその輪郭だけボヤッと見えていた。その程度の視界なので着いた頂上も五里霧中で何も見えず、風雨を避けるべく岩陰で少々休み、すぐに大弛峠に向けて出発した。
山頂から横風を受けつつ岩稜を下り、岩室のあるところから右に折れ、樹林帯に入る。このあたりの樹林帯は、比較的高山の雰囲気がある。道は雨のためにほとんど川になって水が流れており、平坦な場所はずぶずぶで歩きにくい。鉄山は登る踏み跡があったが今回はパス。鞍部に一旦下って今度は朝日岳に登り返す。ここで女性の単独行者とすれ違う。この後、あい前後している単独行者をのぞき、遙か先の北天のタルまで道中でのすれ違いは無かった。
朝日岳は山頂付近が露岩となるが、今日は展望も無くそのまま通過し朝日峠へ。そしてもうひとつピークを越えてバイクや車がパラパラといる大弛峠に降り立ち、大弛小屋で休憩した。

大弛小屋は若い夫婦が小屋番をしており、九州の知人に、「先月大変お世話になったので、よろしく言っておいて」と言われていたのでそのことを話すと、「ああ、あの時方のお知り合いの方ですか」ということで覚えてくれていた。30分ほど休憩して水を補給し少し小やみになった雨の中を国師岳に向けて出発する。途中夢の庭園経由と道が別れるが直進して木の階段混じりの急登を一歩一歩登っていった。夢の庭園からの道を合わせ、一登りで前国師と看板のある平坦地を通過するが、ここは顕著なピークではない。しばらくすると三繋平で北奥千丈岳を分岐し、国師岳の山頂に登り着いた。相変わらずの雨に中で景色は全く無かったが、登りやすく雰囲気のいい道だった。
国師岳から少し進んで天狗尾根を分けると道は北に向かい縦走路でも最も山深い森の中に入っていく。ここから国師のタルまでは長い長い下りが続き、すべてが暗い樹林の中の深閑とした道で、奥秩父らしいと形容されるところである。林床には倒木が多く歩きにくい所もあるが、全般に緑のコケで覆われており、濡れていて色も鮮やかで大変美しい。雨はだいたい上がっているが、全体に深い霧の中にあって木々に着いた水滴が風で落とされてくる。この森は雨は降らずとも、時折雲に覆われる中で常に水分をため込んでいるのだろうと思った。
長い下りも国師のタルで終わり、ここからいくつかの顕著なピークを越えて甲武信岳へと向かっていく、東梓のピークのあたりで単独行者に追いついたが、我々も休憩したので彼は再び発って行った。このあたりではちょっとした驟雨があった。東梓を発つと両門の頭、富士見、ミズシと名前のあるピークがそれぞれ150m程度の標高差の登りで連続していく。今日もかなり疲れが出てきており、時間も遅く苦しいところである。頑張ってミズシを登りきると、気合いを入れ直して最後の甲武信岳に登る。千曲川源流歩道からの道を併せて緩やかに登り、最後は岩くずの急登となって今日最後のピークの甲武信岳に着いたのは、もう17時を回った頃だった。そして甲武信小屋に岩くずの急下降を急ぎ、日が暮れかかった薄暗い頃に到着した。長旅のあとでもあり、私の主張が通ってテントはやめて素泊まりとして宿泊手続きを行った。単独行者は先に着いて一人で休んでいた。
甲武信小屋は立派な造りの古い小屋で宿泊客は最初は3人だけだった。小屋番の山中さんはさつま白波を出してきて、薪ストーブを囲んで「焼酎飲むかっ!」という感じで振る舞ってくれた。6時半を過ぎ、真っ暗になったころで小屋の前にヘッドランプが見え、男性1女性2の中高年の3人組が到着。小屋番さんは立ち上がって食事の準備にかかり、おばさんに「便所に行く途中にある大根を1本抜いて来てくれ〜」などとやりながら、カレーライスと大根サラダができあがっていた様子だった。彼らは千曲川源流歩道を上がってきて、明日は戸渡尾根を降りることにしている様だ。とにかく一気ににぎやかになった。また甲武信小屋では15周年記念ということで、「日本百名山甲武信岳」と大書した手ぬぐいを頂いた。

甲武信小屋の夜はひとしきり雨が降ったあと明け方には上がって明るい日差しが差していた。久しぶりにみる青空である。前線が停滞しているので長続きは期待できないが、ちょっと気分も明るくなる。木賊山は、いつか戸渡尾根を歩くときにでもと思って巻いてしまい、東側の肩にでると、背後に甲武信岳と三宝山が美しく展望できた。しかしこれも長続きせず賽の河原に出る頃にはすっかり霧に覆われてしまい、対面する破風山もうっすら輪郭が見える程度となってしまった。

長い下りを経て笹平に休憩し、今日一番の長い登りである破風山への登りにかかる。この露岩混じりの急登は見えている所まで行くとさらに急登が続くというのが何度も繰り返されるので、果てしなく続く様に思われ、やっと着いた西破風山の頂上でどっと座り込んだ。東破風山までは岩のゴロゴロした岩稜を歩き、さらにちょっとした急降下で鞍部に下る。ちょっと手強い山だった。破風山を過ぎると破風山に分けられた風が強くなり、霧混じりで吹き付けてくる様になる。このあたりは林床がコケの林から笹の林へと変わってきており、雰囲気もずいぶん穏やかになってきた。雁坂嶺は破風山とはうって変わって優しい感じの山で、ゆったりと登って山頂にたった。霧混じりの風は相当強くなってきたので、雨具を付けて雁坂峠を目指し、かなり下って、山梨県側に一面の笹原が広がる様になると道も緩やかになり静かな雁坂峠に着いた。ここでエアリアマップも変わって以後完全に笹が主役の奥秩父となっていく。

奥秩父もだんだん雲取山に近づいてくると、いつも親しんでいる東京周辺の山の雰囲気に近くなってくる。笹に覆われた森があり、指導標が増え、道もよく整備されてきて....。どこから下ってもすぐ帰れるという気にもなってくる。また、西部の幽玄美とも言えるような深閑さとは違って、人の手も入り野生も多く出現する道に変わる。巻き道が多くなるが、その巻き道は、野生を横切って道をつけたということだろう。大型の獣の出現には、あまりに至近距離のことであわててしまった。

雁坂峠を過ぎると再び道は緩やかな登りにかかる。水晶山までは樹林帯の笹の中を緩やかに登っていくと、思ったより早く山頂に出た。山頂はちょっと狩り払われて立派な山名標とベンチがある。近郊の低山の山頂の様な雰囲気でもあった。再び下って、次は古礼山だが、巻き道と稜線と両方の道があり、迷わず巻き道をとってしまった。よくよく考えると、北奥千丈や木賊山や飛竜山などは訪れる機会もあるだろうが、この山の山頂を踏む為にこの区間を歩くかどうかちょっと疑問ではあるが。古礼山を過ぎると緩やかなアップダウンが続き、一面の低い笹原の中を歩く様になる。今は雨も上がっており広々として爽快なところだった。再び樹林の中の緩やかな登りとなって燕山で小休止し、雁峠に向かって下って行く。雁峠が近づくと一気に視界が広がり、広大な笹原の峠が広く眼下に広がった。見えてからも急斜面をジグザグに下るのでなかなか着かないが、ここはこのコースの中でもひとつのビューポイントである。先を歩いていた単独行者が雁峠にちょうど着く頃で、我々もわずかな遅れで雁峠に到着した。

雁峠で単独行者と別れ、笠取山の方を目指して緩やかな笹原を登っていく。登り着いたあたりで笠取小屋に下る道と分かれて、「小さな分水嶺」というピークまで登り、水干への道をとった。道は広く立派なものとなり、近郊の園地の様であった。ゆっくりと登っていくとやがて多摩川の最源流といわれる水干に到着する。細い滴が落ちている程度で、期待とはちょっと違ったが、なるほどそういうものかもしれない。
道は細くなって笠取山の南面をゆっくりと登りながら巻いていく。やがて黒槐の頭と笠取山の登り口のあたりから下降となり、最初の沢で休憩して、久しぶりに思い切り水を飲んだ。ここから将監小屋まではずっと水に恵まれた道で、流れがある度に水をのみ、体の水不足を一気に解消しようとした。さらに下って、笠取小屋からの水源巡視道と合流し、ほとんど水平ないい道を歩いていく。黒槐尾根から中島川橋へ下る道を分ければ歩く人が少なくなるのか、道は若干細くなった。何度も沢を横切り、いい水場があれば水を飲む。また、美しい滝もあちこちにかかっていて、面白い道であった。
夏焼尾根も近づいてきたころ、若干の登りだったので、下をみながらカーブを登っていくと、後ろを歩いていた友人が
「熊だ!!」
と叫んだ。はっとして前を見ると、驚いた熊が一瞬あわてて手近な木に登り、そして笹の斜面に飛び降りて駆け下りていった。わずか15m先の出来事なので驚いたが、私にとっては今年は熊の当たり年で、2回連続の熊との出合いである。あまり大きな熊ではなかったので、親が近くにいるかと思っていろいろと音をだしながら通過した。熊がいたあたりは、風で落ちた、木ノ実のたくさんついた枝があり、どうも食事中だったらしい。しばらく歩いていくと、少し先で影が笹の斜面を大きな音をたてて駆け下りていった。今度はなにかはっきり解らなかったが、この道は獣の密度が濃いようだ。
夏焼尾根もすぎ、そろそろ山の神土かな?と思うころ崩壊の為高巻きになる。小さな高巻きで谷止め工事も完了しており、新しい堰堤の上を通過できたので、ほっと一息と思ったのもつかのまで、再度高巻きとなる。今度は相当高く上がって、結局唐松尾山からの稜線の縦走路に合流して、山の神土に出た。かなり時間も遅かったのでいやな高巻だったが、なんとか安全地帯に出てほっとして小屋に向かうこととなった。山の神土や牛王院平は美しい笹の草原地帯でなかなか素晴らしい場所なので、ここも晴れた日にゆっくり訪れたい場所である。広い道を辿って将監峠に出て将監小屋まで下る。ここまで軽トラックが入ってきている。小屋の受け付けを済ませると、宿泊客は我々2人だけ。30畳の広いがらんとした、柔道場や剣道場みたいな広い部屋の中で、好きに布団を使って寝て良いとのこと。これだけ広いとちょっととまどってしまう。ストーブも何もないが、この小屋のいいところは、入り口の脇に滔々と常にたくさん水が流れており、いつも使い放題ということである。ポリタンで水くみなんて面倒なことをせず、鍋に直接受ければいい。これは何物にも代え難い利点だと思った。

将監小屋をいつもと同じ7時前に出発し、雲取方面に登って、少し将監峠の先から再び水平道に入る。このあたりは昨日までと違って、道が荒れ気味で倒木も多く、あまりスピードがのってこない。途中流れ込む沢の水をあちこちとりながら、時折木の根や濡れた石に足を滑らせつつ、倒木を潜り、また跨いで大ダルに到着。ここは笹のちょっとした平原になっている。ここからは飛竜の登りにかかる。ゆったりと登っていくので、標高差ほどの急峻さは感じなかった。大ダルから少し登ったところにいい水場があったが、この先は雲取を下るまで水場は無くなるので、しっかり補給した。何度か尾根を回り込むと禿岩に到着。もちろん今日は展望は無い。そして程なく飛竜権現に着いた。神社は残念なことに倒壊しており、寂しい限りである。
ここから丹波まで下れば3時間程度で、いよいよ終点に近づいたことが感じられる。飛竜の山頂はパスして先を急ぐ。北天のタルまでの間は決していいとは言えない道で、岩壁のトラバースや壊れかけた桟道もあり、通行には注意が必要である。補修が必要なあたりは、周辺を切り開いてヘリで補修資材をあげてあり、もう少しできれいな道に補修されることと思われる。倒木もいずれ片づける手はずになっているようだった。
北天のタルでは、三条の湯の方から登ってきた登山者とすれ違う。久しぶりに会う登山者である。北天のタルから三条ダルミの間はさらに通る人も少なくなるのか、笹に覆われており足元も見えない道が続いていく。三ツ山から先は再び桟道の多い道となり、実際に補修資材を使用して修理している現場に出くわした。崩れている場所なので注意して通してもらった。狼平にさしかかる頃から本格的な雨となった。この4日間の最後を飾るようでもある。笹の平地の狼平から小さなピークをしばらく巻くように進んでしばらくすると周りが開け三条ダルミに到着した。
さて、いよいよ締めくくりの登りである。雲取山への登りは一直線でさして緩みもせず、かといって急激な段差もなく、じっくりと登っていく。時折標高を書いた板を打ちつけてあるのだが、ここまで歩いたあとで、もうこれ以上登る山も無いという状況では無用である。この山頂がこの4日間の山頂であるから、あとは登りを楽しむだけだ。それも三条ダルミから35分。雲取山の山頂は、今回の山行を締めくくる相当な雨の山頂であった。

さて、この時間であれば一直線に下るのみ。家に置いてきた計画書は明日下山の予定であるが、早くなる分には問題は無い。真っ直ぐ鴨沢に向けて下っていく。雨はさらに激しくなっているが続々と登山者が登ってくる。雲取山荘に泊まるのだと思われるが、比較的アプローチのいい山なので、こんな雨の日にわざわざ来なくても....と思ってしまう。ヘリポートを過ぎる頃から遠雷を聴き、樹林帯のブナ坂へと急ぐ。
七ツ石山を巻いて、ヒリヒリする足の裏をなだめすかしながら鴨沢に降り、雨の中、留浦のバス停に向かう途中、なんとRV車に拾ってもらい奥多摩駅まで送ってもらった。超ラッキーな結末でこの山行は締めくくられたのであった。

奥多摩では、できたての「もえぎの湯」で4日間の汗を流して無事帰途についた。今度は、今回通った山を天気のいい日を狙って、いくつか麓から「登って」みたいと思う。とにかく、20kgで4日間という行程は初めての経験で、いろいろと厳しい場面もあったものの、一つのステップとしても満足できるものであった。このあたりは、いつかは荷物を背負って南アルプスへ....ということである。

本文中の写真(順に)

  • 国師ヶ岳山頂
  • 西破風山山頂
  • 水源林道を横切る流れ

    参考

    廻り目平から金峰山、瑞牆山荘  瑞牆山荘から瑞牆山  鴨沢から雲取山

    スナップ

    甲武信岳

  • 参考図書・地図
    アルペンガイド奥多摩・奥秩父・大菩薩(1992年8月第1刷)
    エアリアマップ 奥秩父1(1992年版)
    エアリアマップ 奥秩父2(1998年版)
    25000図 瑞牆山 金峰山 雁坂峠 雲取山 丹波
    50000図 金峰山 三峰 丹波

    つかの間の晴れ間の甲武信岳
    その他のコース
    縦走路まで多くの峠や登山道が達していますので、縦走中のエスケープルートとして利用できます。
    交通機関
    韮崎駅よりみずがき山荘行き終点下車。
    詳細時刻は、山梨峡北交通をご参照下さい。


    Nifty FYAMA 投稿文

    雨の奥秩父

    皆さんこんにちわ。ご無沙汰しています。泥助です。夏の間はじっとしていたのですが、ちょっと遅い夏休みということで2ヶ月ぶりの山にでかけました。一番最初の計画は飯豊だったのですが、都合により中止。代替として、黒部の赤木沢、黒部源流を計画しましたが、この雨の予想の中で沢はやめた方がいいので中止。ということで、雨でもそこそこ歩くことの可能な奥秩父に行くことにしました。
    予想通り、ほとんどの行程が雨でずっと濡れ通しの4日間となりました。ということで、そこそこの荷を背負って歩き通したということに価値を認める山行であったということでしょうか。ただ、深い原生林の苔むした林床が雨と霧の中で、生き生きと輝いていたことは特筆できることだと思います。また、そういう天気でもあり、体力とスピードの問題もあって、巻けるところはすべて巻いたという軟弱行程です。(^^;;


    【日 程】98年9月23日(水)〜98年9月26日(土)
    【目 的】奥秩父縦走
    【天 候】23日 曇のち雨 24日 雨時々曇 25日 曇時々雨 26日 雨のち雷雨
    【コース】1日目 瑞牆山荘より金峰山小屋
          1240 瑞牆山荘→ 1320/1335 富士見平→ 1425/1435 大日小屋→
          1730 金峰山小屋 行程 4時間50分
         2日目 金峰山小屋から甲武信小屋へ
          0650 金峰山小屋 → 0720/0735 金峰山 → 0845 朝日岳 →
          0920 朝日峠 → 0950/1020 大弛峠 → 1110/1117 国師岳 →
          1340/1410 東梓 → 1530/1540 富士見 → 1715/1720 甲武信岳
          → 1740 甲武信小屋 行程 10時間50分
         3日目 甲武信小屋から将監小屋
          0640 甲武信小屋 → 0735/0740 笹平 → 0823/0830 西破風山 →
          0855 東破風山 → 0945/1000 雁坂嶺 → 1025 雁坂峠 →
          1100/1110 水晶山 → 1213/1225 燕山 →1245 雁峠 →
          1320 水干 → 1655 山の神土 → 1707 将監峠 → 1715 将監小屋
          行程 10時間35分
         4日目 将監小屋から雲取山を経て下山
          0650 将監小屋 → 0900 大ダル → 0945/1000 飛竜権現 →
          1035 北天のタル → 1240/1255 三条ダルミ → 1330/1420 雲取山
          → 1725 鴨沢 行程 10時間35分
    【山 名】金峰山 2599m 朝日岳 2579m 国師岳 2592m 東梓 2272m 両門の頭 2263m
          富士見 2373m ミズシ 2396m 甲武信岳 2475m 西破風山 2318m
          雁坂嶺 2289m 水晶山 2158m 燕山 2004m 雲取山 2017m
    【メンバー 】会社の同僚 Tさんと私の2人
    【山 域】奥秩父
    【参考書】昭文社エアリアマップ 奥秩父1・2

    大バテで金峰山

    1.金峰山

    出発前日は、西日本を台風が通過し大変な荒れ模様だった。同行者は四日市から来るため、行き先や行程など前日の夕方まで決まらなかったが、結局雨でも行程に影響を受けにくく、樹林帯の通過がほとんどということで、奥秩父の縦走を選んだ。当日の朝の電話で、一夜明けて台風の影響はなく名古屋から中央本線に乗るという電話が入り、韮崎駅で待ち合わせにして出発した。
    ほぼ同じ時刻に韮崎に着き、駅前のイトーヨーカドーで買い物を済ませて、増富温泉行きのバスを見送りタクシーで瑞牆山荘に向かう。これは現地に着いてわかったことだが、土日と祭日は増富温泉から瑞牆山荘までタクシー会社の運行する定期マイクロバスが出ていた。
    さて、準備を整えて今日の当初の目的である大日小屋を目指す。蒸し暑い日ではあるが、雨はまだ降っておらずゆったりした登りを車道を横切ったりしながら登って富士見平に着く。まだ歩き始めたばかりで、重い荷物はちょっと不安ではあるがまずまずの出だしである。さらに幕営をするつもりだった大日小屋に着くと、ついに雨がパラパラと降り始めた。この時点ではまだ余裕があり、行程を稼ぎたいこと、及び雨になってくると幕営も大変なのでさらに金峰山小屋を目指すことにした。
    大日小屋を発ってから大日岩への道はちょっとした急登となり、このあたりで急速に疲れが出てきはじめた。今回は普段重くても12〜3kgしか背負わない人が、20kgで4〜5日という未体験ゾーンで登っており、また2ヶ月ぶりの山ということもあって精神的な不安感もあり疲れてきたのだろう。八丁平の分岐以降、休み休み登ってやっと、森林限界に出る。ここからは瑞牆山や小川山が見えたがそれもつかの間で雲がすべてを隠してしまった。もっとも山を眺めている余裕などなかったというのが正直な所である。岩稜をゆっくり登って行き、金峰山小屋の分岐まできたところで巻き道に入りやっと小屋に到着。先が思いやられつつ一日の行程を終えた。
    金峰山小屋は先代の小屋番が亡くなって、その娘さんが一人で切り盛りしている小屋である。設備もしっかりしていて綺麗でいい小屋だった。客は我々含めて4人で、1人は瑞牆山荘から往復の人、1人は雲取山に向かう単独の人であった。その夜天候は悪化しかなりの風雨となった。

    翌日になっても風雨は止まず、体調不良もあったが、とりあえず行けるところまでと出発する。できれば甲武信小屋、最悪大弛峠という計画である。
    小屋から金峰山までは一直線の登りで雨の中じっくりと登る。途中五丈岩への分岐があったがひたすら直進する。右手に五丈岩が霧の中でその輪郭だけボーっと見えていた。その程度の視界なので着いた頂上も五里霧中で何も見えず、風雨を避けるべく岩陰で少々休み、すぐに大弛峠に向けて出発した。単独行の人もさっさと先に出発していった。山頂から横風を受けつつ岩稜を下り、岩室のあるところで右に折れるところを左の踏み跡に少し入ってしまったがすぐ引き返して、樹林帯の中に入る。このあたりの樹林帯は高山のそしてどちらかと言えば上越の方の山を歩いている雰囲気の樹林帯だった。道は雨のためにほとんど川になって水が流れており、平坦な場所はずぶずぶで歩きにくい。鉄山は登る踏み跡があったが今回はパス。鞍部に一旦下って今度は朝日岳に登り返す。ここで女性の単独行者とすれ違う。この後、あい前後している単独行者をのぞき、北天のタルまで道中でのすれ違いは無かった。
    朝日岳は山頂付近が露岩となるが、今日は展望も無く通過し朝日峠へ、そしてもうひとつピークを越えてバイクや車がパラパラといる大弛峠に降り立ち、大弛小屋で休憩した。先行した単独行者はここで追いついたが、再び先行して発っていった。

    つづく

    奥秩父の森と甲武信

    再びこんにちわ。泥助です。ところで私はこの縦走という山行スタイルは山に登る手段としては、決して好きという訳ではありません。それぞれ一つ一つの山を一つ一つの道で登るのがその山に登ったのだなということだろうなと思いますし、名だたる名山を単なる通過点にしたくないという気持ちがあります。ということで、いつの日か再び甲武信や飛竜などに戻ってきたいと思います。でも4日をかけてロン グコースを一気に歩くというのは、次々と変わる風景や、好天を狙って行く日帰りでは味わえない天候の移り変わりと時間帯による雰囲気など、また山と山の間の深い森の風景と....大変楽しいことでした。個人的にはこれは山に登る楽しみではなく、山を歩く楽しみなのかなと勝手に自己矛盾の中で解決しています。

    2.国師岳〜甲武信岳

    大弛小屋は若い夫婦が小屋番をしており、先月私の知人から大変お世話になったので、よろしく言っておいてと言われていたのでそのことを話すと、しっかり「ああ、あの時方のお知り合いの方ですか」ということで覚えていてくれていた。30分ほど休憩して水を補給し少し小やみになった雨の中を国師岳に向けて出発する。途中夢の庭園経由と道が別れるが直進して木の階段混じりの急登を一歩一歩登っていった。夢の庭園からの道を合わせ、一登りで前国師と看板のある平坦地を通過するが、ここは顕著なピークではない。しばらくすると三繋平で北奥千丈岳を分岐し、(これも今回はパス)国師岳の山頂に登り着いた。相変わらずの雨に中で景色は全く無かったが、登りやすく雰囲気のいい道だった。
    国師岳から少し進んで天狗尾根を分けると道は北に向かい縦走路でも最も山深い森の中に入っていく。ここから国師のタルまでは長い長い下りが続きすべてが暗い樹林の中の深閑とした道で、奥秩父らしいと形容されるところなのだろう。林床には倒木が多く歩きにくい所もあるが、全般に緑のコケで覆われており濡れていて色も鮮やかで大変美しい。雨はだいたい上がっているようではあるが、全体に深い霧の中にあって木々に着いた水滴が風で落とされてくる。この森は雨は降らずとも、時折雲に覆われる中で常に水分をため込んでいるのだろうと思った。
    長い下りも国師のタルで終わり、ここからいくつかの顕著なピークを越えて甲武信岳へと向かっていく、東梓のピークのあたりで先行した単独行者に追いついたが、我々も休憩したので彼は再び発って行った。このあたりではちょっとした驟雨があった。東梓を発つと両門の頭、富士見、ミズシと名前のあるピークがそれぞれ150m程度の標高差の登りで連続していく。今日もかなり疲れが出てきており、時間も遅く苦しいところである。頑張ってミズシを登りきると、気合いを入れ直して最後の甲武信岳に登る。千曲川源流歩道からの道を併せて緩やかに登り、最後は岩くずの急登となって今日最後のピークの甲武信岳に着いたのは、もう午後5時を回った頃だった。そして甲武信小屋に岩くずの急下降を急ぎ、日が暮れかかった薄暗い頃に到着した。長旅のあとでもあり、私の主張が通ってテントはやめて素泊まりとして宿泊手続きを行った。単独行者は先に着いて一人で休んでいた。

    甲武信小屋は立派な造りの古い小屋で宿泊客は最初は3人だけだった。小屋番の山中さんはさつま白波を出してきて、薪ストーブを囲んで「焼酎飲むかっ!」という感じで振る舞ってくれた。6時半を過ぎて真っ暗になったころで小屋の前にヘッドランプが見え、男性1女性2の中高年の3人組が到着。予約をしていたとのことである。小屋番さんは立ち上がって食事の準備にかかり、おばさんに「便所に行く途中にある大根を1本抜いて来てくれ〜」などとやりながら、カレーライスと大根サラダができあがっていた様だった。彼らは千曲川源流歩道を上がってきて、明日は戸渡尾根を降りることにしている様だ。とにかく一気ににぎやかになった。また甲武信小屋では15周年記念ということで、「日本百名山甲武信岳」と大書した手ぬぐいを頂いた。

    3.甲武信小屋〜雁坂峠

    甲武信小屋の夜はひとしきり雨が降ったあと明け方には上がって明るい日差しが差していた。久しぶりにみる青空である。前線が停滞しているので長続きは期待できないが、ちょっと気分も明るくなる。木賊山は今度戸渡尾根を歩くときにでもと思って巻いてしまい東側の肩にでると、背後に甲武信岳と三宝山が美しく展望できた。しかしこれも長続きせずサイノ河原に出る頃にはすっかり霧に覆われてしまい、対面する破風山もうっすら輪郭が見える程度となってしまった。
    長い下りを経て笹平に休憩し、今日一番の長い登りである破風山への登りにかかる。この露岩混じりの急登は見えている所まで行くとさらに急登が続くというのが何度も繰り返されるので果てしなく続く様に思われかなり疲れてしまい、やっと着いた西破風山の頂上でどっと座り込んだ。東破風山までは岩のゴロゴロした岩稜を歩き、さらにちょっとした急降下で鞍部に下る。ちょっと手強い山だった。破風山を過ぎると破風山に破られた?一方の風が強くなり、霧混じりで吹き付けてくる様になる。このあたりは林床がコケの林から笹の林へと変わってきており、雰囲気もずいぶん穏やかになってきた。雁坂嶺は破風山とはうって変わって優しい感じの山で、ゆったりと登って山頂にたった。霧混じりの風は相当強くなってきたので、雨具を付けて雁坂峠を目指し、かなり下って、山梨県側に一面の笹原が広がる様になると道も緩やかになり静かな雁坂峠に着きいた。ここでエアリアマップも変わって以後完全に笹が主役の奥秩父となっていく。

    つづく

    熊と多摩川源流の森

    奥秩父もだんだん雲取山に近づいてくると、いつも親しんでいる山の雰囲気に近くなってきます。笹に覆われた森があって、指導標が増えてきて、道もよく整備されてきて....どこから下ってもすぐ帰れるという気がしてきます。西部の人をよせつけない様な深閑さとは違って、人の手も入り野生も多く出現する道に変わってきました。むしろ西部の様に稜線だけの縦走路でなく、巻き道がいろいろついている道は、野生の中にどんどん道を作っていったということかもしれません。それにしても熊は小さくても重量感がありますね。

    4.雁坂峠〜雁峠

    雁坂峠を過ぎると再び道は緩やかな登りにかかる。この区間も歩く人は相対的に多くはないのではないかと思う。水晶山までは樹林帯の笹の中を緩やかに登っていくと、思ったより早く山頂に出た。山頂はちょっと狩り払われて立派な山名標とベンチがある。近郊の低山の山頂の様な雰囲気でもあった。再び下って、次は古礼山だが、巻き道と稜線と両方の道があり、迷わず巻き道をとってしまった。しかし後で考えると、北奥千丈や木賊山や飛竜山などは訪れる機会もあるだろうが、この山の山頂を踏む為にこの区間を歩くかどうかちょっと疑問ではある。古礼山を過ぎると緩やかなアップダウンが続き、一面の低い笹原の中を歩く様になる。今は雨も上がっており広々として爽快なところだった。
    再び樹林の中の緩やかな登りとなって燕山で小休止し、雁峠に向かって下って行く。雁峠が近づくと一気に視界が広がり、広大な笹原の峠が広く眼下に広がる様になった。見えてからも急斜面をジグザグに下るのでなかなか着かないが、ここもこのコースの中でのひとつのビューポイントである。先を歩いていた単独行者が雁峠にちょうど着く頃で、我々もわずかな遅れで雁峠に到着した。

    5.雁峠〜将監小屋

    雁峠で単独行者と別れ(このあとは出会わなかった)笠取山の方を目指して、緩やかな笹原を登っていく。登り着いたあたりで笠取小屋に下る道と分かれて小さな分水嶺というピークまで登り、水干への道をとった。道は広く立派なものとなり、近郊の園地の様であった。ゆっくりと登っていくとやがて多摩川の最源流といわれる水干に到着する。細い滴が落ちている程度で、期待とはちょっと違ったが、なるほどそういうものかもしれない。
    道は細くなって笠取山の南面をゆっくりと登りながら巻いているが、心中はずっと水平か下りを予想していたので、ちょっと腹立たしい気分であった。やがて黒槐の頭と笠取山の登り口のあたりから下降となり、最初の沢で休憩して、たくさん水を飲んだ。ここから将監小屋まではずっと水に恵まれた道で、流れがある度に水をのみ、体の水不足を一気に解消しようとした。さらに下って、笠取小屋からの都の水源巡視道と合流し、ほとんど水平ないい道を歩いていく。
    黒槐尾根から中島川橋を下る道を分ければ歩く人が少なくなるのか、道は若干細くなった。何度も沢を横切り、いい水場があれば水を飲む。また、美しい滝もあちこちにかかっていて、面白い道であった。
    夏焼尾根も近づいてきたころ、若干の登りだったので、地面をみながらカーブを登っていくと、後ろを歩いていた友人が
    「熊だ!!」
    と叫んだ。はっとして前を見ると、驚いた熊が一瞬あわてて手近な木に登り、そして笹の斜面に飛び降りて駆け下りていった。わずか15m先の出来事なので驚いたが、今年は熊の当たり年で、2回連続の熊の出現である。
    あまり大きな熊ではなかったので、親が近くにいるかと思っていろいろと音をだしたが、大丈夫そうなので通過した。熊がいたあたりは、風に折れて落ちた木ノ実のたくさんついた枝があり、どうも食事中だったらしい。
    しばらく歩いていくと、少し先で影が笹の斜面を大きな音をたてて駆け下りていった。今度はなにかはっきり解らなかったが、どうもこの道は熊の巣の中を通っているらしい....
    夏焼尾根もすぎ、そろそろ山の神土かな?と思うころ崩壊の為高巻きになっており、やれやれと思ったが、小さな高巻きで谷止め工事も完了しており、新しい堰堤の上を通過できたのでラッキーだった....と思うのもつかのま、再度高巻きとなり、今度は相当高く上がって、結局唐松尾山からの稜線の縦走路に合流して、山の神土に出た。かなり時間も遅かったのでいやな高巻だったが、なんとか安全地帯に出てほっとして小屋に向かうこととなった。
    山の神土や牛王院平は美しい笹の草原地帯でなかなか素晴らしい場所なので、ここも晴れた日にゆっくり訪れたい場所である。広い道を辿って将監峠に出て将監小屋まで下る。ここまで軽トラックが入ってきている。小屋の受け付けを済ませると、宿泊客は我々2人だけ。30畳の広いがらんとした長方形の建物、柔道場や剣道場みたいな広い部屋の中で、好きに布団を使って寝て良いとのこと、これだけ広いとちょっととまどってしまう。ストーブも何もないが、この小屋のいいところは、入り口の脇に滔々と常にたくさん水が流れており、いつも使い放題ということである。ポリタンにくんでなんて面倒なことをせずとも鍋に直接くんでなんていうことも可能で、これは何物にも代え難い利点だと思った。

    つづく

    雷雨の雲取山下山

    土曜日の奥多摩ともなれば、日帰りあるいは週末のハイカーの世界となります。私も普段はその一員なのですが、こう長い行程を経てくると今までほとんど人と会わない世界を歩いてきただけに、不思議な気分でもあります。
    しかしこの様な雨の日にずいぶんたくさんの人が登ってくるものだと思いました。しかし、こっちも雨覚悟でしかも金峰山から歩いているという酔狂なことをしているわけですから、大きなことはいえませんね。しかし装備といい行動といいちょっとお粗末な人たちもいて、大丈夫かなあ??と思ったりしました。

    6.将監小屋〜飛竜権現〜雲取山

    将監小屋をいつもと同じ7時前に出発し、雲取方面に登って少し将監峠の先に出て再び水平な道に入った。このあたりは昨日までと違って、道が荒れ気味で倒木も多くあまりスピードにはのってこない。途中流れ込む沢の水をあちこちとりながら、時折木の根や濡れた石に足を滑らせつつ、倒木を潜りまた跨いでせっせと歩き大ダルに到着。ここは笹のちょっとした平原になっている。ここからは飛竜の登りにかかる。ゆったりと登っていくので、標高差ほどの急峻さは感じなかった。大ダルから少し登ったところにいい水場があったが、この先は雲取を下るまで水場は無くなるので、しっかり補給した。何度か尾根を回り込むと禿岩に到着。もちろん今日は展望は無い。そして程なく飛竜権現に着いた。神社は残念なことに倒壊しており、寂しい限りである。ここから丹波まで下れば3時間程度で、いよいよ終点に近づいたことが感じられる。
    今日は飛竜の山頂はパスして先を急ぐ。北天のタルまでの間は決していいとは言えない道で、岩壁のトラバースや壊れかけた桟道もあり、通行には注意が必要である。補修が必要なあたりは、周辺を切り開いてヘリで補修資材をあげてあり、もう少しできれいな道に補修されることと思われる。倒木もいずれ片づける手はずになっているようだった。
    北天のタルでは、今日三条の湯の方から登ってきた登山者とすれ違う。久しぶりに会う登山者である。北天のタルから三条ダルミの間はさらに通る人も少なくなるのか、笹に覆われており足元も見えない道が続いていく。三ツ山から先は再び桟道の多い道となり、実際に補修資材を使用して修理している現場に出くわした。崩れている場所なので注意して通してもらった。狼平にさしかかる頃から本格的な雨となった。この4日間の最後を飾るようでもある。笹の平地の狼平から小さなピークをしばらく巻くように進んでしばらくすると周りが開け三条ダルミに到着した。
    さて、いよいよ締めくくりの登りである。雲取山への登りは一直線でさして緩みもせず、かといって急激な段差もなく、じっくりと登っていく。時折標高を書いた板を打ちつけてあるのだが、そういうものはなくとも、もうこれ以上登る山も無い状況では無用である。この山頂がこの4日間の山頂であるから、あとは登るのを楽しむだけである。それも三条ダルミから35分。雲取山の山頂は、今回の山行を締めくくる結構な雨の山頂であった。

    7.下山

    さて、この時間であれば一直線に下るのみ。家に置いてきた計画書は明日下山の予定であるが、早くなる分には問題は無い。真っ直ぐ鴨沢に向けて下っていく。雨はさらに激しくなっているが続々と登山者が登ってくる。雲取山荘に泊まるのだと思われるが、比較的アプローチのいい山なのでこんな雨の日にわざわざ来なくても....と思ってしまうが、遠くから計画して来られた方もいたのかもしれない。
    ヘリポートを過ぎる頃から遠雷を聴き、樹林帯に入るブナ坂へと急ぐ。そこまで下ればあとはすべて樹林の中なのだ。しかし、遠雷の中で雲取山に向けて開けた道を次々と登っていく人たちもいる。こういう時の七ツ石小屋だとも思うが、思ったり言ったりしている時と、実際行動する時は別問題ということにもなりがちで、その場に立って実際どう判断できるかがポイントだと思う。
    七ツ石山を巻いて、ヒリヒリする足の裏をなだめすかしながら頑張って鴨沢に降り、雨の中留浦のバス停に向かう途中なんとRV車に拾ってもらい奥多摩駅まで送ってもらうという超ラッキーな結末でこの山行は締めくくられたのであった。これは何より嬉しかった。


    長文におつきあいいただきありがとうございました。奥多摩では「もえぎの湯」という温泉を駅前で教えてもらい4日間の汗を流して無事帰途につきました。帰り送ってもらった方は、クマザサを漕いで獣道や仕事道を使いつつ山に分け入り楽しまれている方のようで、熊の多いのは笠取山のあたりでは1400mより上、また六ツ石の周辺は良く出るということでした。
    今度は今回通った山を天気のいい日を狙っていくつか「登って」みたいと思います。あと、久しぶりに大菩薩周辺に行きたい....
    今回は20kgで4日間という行程で歩けたので、良かったと思っています。残念ながらコースタイムで負けていたり、登りがかなり苦しく文句なしに巻き道を選んでいったりしたのでまだまだ修行が足りません。実感としてこれでは荷物を背負っての南ア南部はまだ無理だな....と思っているところです。継続的にどこかに出かけるように心がけます。あとは、いつもプロガイド並のサポートをしてくれている友人に感謝します。それでは